名前はまだない

日々

まだ見ぬ世界

あなたは、ずっと前からこの世界は知らないことだらけだと何となく思っているね。だけど、知らないことをなぜ知っているのか、という疑問も同時にわくよね。不思議だね、どうしてあなたは知らないことがあるということを知っているのだろうね。本当に知らないことは、知らないということさえ気づきようもないのにね。そうやって、何となくぼんやり考えたり感じたりしていることって、実はそこに何かがあることが前提になっているんだよね。だから、ありもしないけれどあるかもしれない、まだ見ぬ世界にワクワクしているけれど、もしかしたら、すっかり忘れて思い出せないだけで本当は知っているのかもしれないね。

想像する世界

異次元の世界が存在するとかしないとか、パラレルワールドが存在しているとかしないとか、そんなこともどこかでなんとなく見聞きして知っているんだけれど、それらを実際に確かめることはできそうにもないね。だからといって得体の知れない、想像もつかない世界ではないね。確かめようがないけれど、その上でいろんな人がこんな風だとか、あんな風だとかの思いついたアイデアの世界がそこかしこに繰り広げられているね。大きく区分すると言葉で表現できる世界とも言える。その言葉の世界の限界があって、言葉で表せないことは表現できない。けれど、言葉の世界の制限そのものが、その制限を超えた向こう側に何かあるんじゃないかと思わせているね。制限されているからこそあれこれと想像できるんだね。逆に、制限も何もないところには、本当に何もないね。

何もない世界

結局、今ここで見聞きして知っているこの世界も、見知らぬ世界そのものの中にあるということかもしれない。名前がまだない世界は一瞬必ずそこにある。それはまだ言葉で出来ていない世界だとすると、それはいつもそばにあるのかもしれないね。そう、まだ名前がなく、名付ける前の世界が一瞬そこに感じられるけれど、常にそれは逐次言葉に変換されて名付けられて分類されてしまう。言い表せない瞬間の世界は確実にあるし、ずっとあなたのそばにある世界だね。何となくまだ見ぬ世界をいつも感じているのはそういうことかも知れないね。