境界線

日々

終わり始まり

出会いがあると別れがあるように、始まりがあると終わりがある。そう言うふうにこの世の中の仕組みは、相反するものがバランスを取ってできているね。それは言葉がそういう性質を持っているからとも言えるかもしれないね。物事を切り出して、これはこうだ、と表現することで意味を持たせているのなら、必ず反対の存在がそれを支えないといけない。そういう構造で言葉は存在しているし、そうして元々は何もないところから区別しているから意味が成立するんだよね。なんにもないところに黒い線を引いて、ここからスタートだゴールだと言っているのと似たような気がするね。

陰と陽

日の光が当たれば、陰ができる。それはそこに存在していることの証明でもあるし、だからこそあなたは認識できている。もし陰ができないと目に見えるものとしてはそれは認識されないね。はっきりとそこにそれはあると見て取れるからこそ、それを前提にして思考を始めることができるね。何かを始めるには何かのきっかけというか、足掛かりというか拠り所が必要だからね。そうして、あれこれと考え始めているんだけれど、そもそもの出発点だったその拠り所自体が、実はそんなに確固たるものではなかったりするね。だって、そのものの陰をみたということだけなんだからね。

一区切り

大海原を船で旅していると、見渡す限りの海が広がっているね。なんにも目標物も陸地も見えないところでは、今どこにいて、そしてどこに向かっているのかさえわからなくなるね。かろうじて船のあげる水飛沫で動いているような気がしているけれど、どれくらいのスピードでどの方角かなんてすぐに見失ってしまう。だから昔の人は星や太陽を基準にしていたんだけれど、それすら見えない天候になるとお手上げだね。今はGPSとかあるのであなたの手元のスマートフォンの電池さえあれば、緯度経度がすぐにわかる時代だけど、その数値さえ実際にそこに線を引いているわけではない。イギリスを基準にして仮に設定したものにすぎない。なぜそこが基準かと聞かれたら、それは初めて決めた人がたまたまそこに住んでいたからとしか言えないね。だから区切りはどこまでいっても、あなたが線を引けばそこがそうなるってこと。目の前のことがすべて区切りでできているのなら、どう認識するかはあなたの完全な自由の中にあるね。だからあなたの好きなように変えたらいいんだよ。