どうでも良い子

日々

優等生

先生の言うことはなんでも聞いて、多少の無理難題を前にしても辛抱強く対応できて、指示された通りの行動を正確に行うことができる。そういう優等生が今まで必要とされていた人物だった。その勤勉さと誠実さとでモノづくりの国として世界を驚かせていた。それが今後はそういう指示通りに正確に動ける人物が、プログラムやロボットにとって代わる時代だといわれて久しい。それでも、学歴やいい会社という考えが、いまだそこかしこに残っているね。そうはいってもとりあえず優等生組にいることが損ではないだろうという思惑からかな。だから思考力や判断力の時代と号令がかかっているのにも関わらず、いつまでたっても従来の枠組みから飛び越えて新しい世界を生み出すような動きはしばらくはないだろうね。

他人のモノサシ

どこまでも優秀かどうかの評価軸は誰かのモノサシで測られる世界だね。何一つ自らで決めることはない。出題される問題に対してどれだけ素早く正確に回答できるかどうかの力を試されている。またそういうクイズみたいなテストのやり方に慣れっこになっていて、テストに対する傾向と対策に関してはとても得意だね。出題された過去の問題を分析して、似たような問題が出題されても回答できるように反復練習をする。何度も何度も繰り返し練習することで、短時間で正確に答えられるようになる。まるでそれはロボット育成プログラムのようだね。今の音声解析のAIなんかも同じことをしているね。だから高学歴はクイズ王としてテレビショーを賑わせている。けれど、もはや「モノ知り博士」はそれ以外に使い道はないね。クイズ番組という古い枠組みで活躍できるけれど、インターネットのグーグル先生にはどこまでいっても勝つことはできない。

ルールを決める

そういうことに特化して暮らしてきたものだから、独自に評価軸を含めたルールを決めるということがとても苦手だね。どんな評価をするのかも、どんなモノサシで順位付けされるのもわからないような状況においては対策のしようがなくなる。だからそういうことをしようとAO入試や考える力テストなんてやっても志望者が集まらない。自らルールを決めて、どうしてそうしたのかをわかりやすく説明して、その合理性を語ることができるという能力はこれからの社会に必要な力なのに、誰かが決めた回答を当てる問題集のほうをこぞって選ぶなんて信じられないね。そういう思考力よりも学校や会社という枠組みというか経歴が欲しいがために問題集を解いているのが本音かな。ペーパーテストで点数化されて順位付けされる方がわかりやすくていまだに好まれているのは、その方が攻略法がたくさんあるからだね。だとしたら今の問題集や科目やテストは実にくだらない。時間がもったいないので、スマホでゲームしていた方がマシだと思うけれどね。そんなこと言ってはいけないことなのかな。これらすべては上官の命令が絶対という世界だからそう思うんだよね。誰かに人生を握られている。そこから自由になる道はそれほどイバラの道なのだろうか。