日々

寒い

暑い暑いと言っていた夏も終わって、あっという間にというか、最近は急に寒くなってきたように思えるね。山間の地域ではすでに雪景色で銀世界になっているみたい。冬が到来するのは随分前から知ってはいるけれど、いつもの事ながらこんなに寒かったかなと思っている。それまでの季節がまだ体の感覚として残ったままなんだよね。そうして寒さにようやくなれた頃に、また春が来ることも知ってはいるけれど、季節の変わり目でどうも身体のがついていかなくなるわけだ。だから今年は特に寒いねぇという言葉が行き交うことになる。それをずっと繰り返しているね。

知っている寒さ

どうもすでに知っているからこそ、なんとかなる部分とそうでない部分とがあるみたい。知識は未来予測を可能にしてくれるけれど、実際は思っていたのと違うことの方が多いね。しかも初めての体験でもないというのにね。どうしてこうなるのかな。よく考えてみるとそこにはある種のカラクリが潜んでいることに気づくね。というのも、あなたが知っているそれは記憶の中のそれであって、どこまでいっても身体の思い出ではないということ。さらに記憶は、常にそう思った今、頭の中で合成された風景でしかないね。強烈に寒かった経験はもちろん覚えてはいるけれど、体感としては曖昧のままにしか記録されていない。それは言葉の意味の深さだけでは、体験は全く足りていないということになるね。痛いほど寒かったとか、凍えて震えが止まらなかったとか、そういう世界に留まってしまっている。もちろんそれで記録されてはいるけれど、実際の体感はいつも初めてのこと。だから、毎年寒い寒いと同じことを呟いているだけになるね。

体験の記憶

記憶される情報量が圧倒的に少ない言葉というメディアでしか、過去の記憶は残せないってわけだ。そして、今ここで感じていることが全てであって、それらも言葉に翻訳されてしまう。したがって、ほんのわずかな情報でしか残らないんだ。となると、今ここの体験が全てであって、だからこそ今を一番感じるようにできているんだね。今の寒さは今しか感じられないんだから、今の寒さを体験し、感じ、楽しむことしかできない。そうやって目の前の銀世界はつい忘れかけていた今ここを教えてくれている。忘れかけてたことを全力で思い出させてくれている。しかし今年は寒いねぇ。