商い

日々

儲け話

うまい話があって、今これを転売すればとても儲かるよ、なんてことはよくネットでも見かけることが多くなった。もちろんこれに騙されないとは思うけれど、儲け話は後を絶たない話題の一つだね。一時はチケットやマスクの転売でこれだけ儲かったとかいう話が巷を賑わせていたね。そういう品物が不足している状態がここ最近のご時世で多くなったせいか、需要よりも供給が極端に追いつかないものはすぐに転売価格に跳ね上がった。それでも欲しい人は減らないから、これまた売れてしまう。そうなると悪循環になって、皆が適正な価格では手に入れられなくなってしまった。そういうことが繰り返し起こった年でもあるね。

三方良し

かつての近江商人が大切にしてきたと言われる三方良し。売り手良し、買い手よし、世間良しと呼ばれるその精神は、現代の富裕層にも通じるものがあるね。なんでもいいから自らの利益だけを追求して、買い手であるお客がどういう思いになるかなんて気にしない。そんなところに転売ヤーの問題が浮き彫りになっているね。個人主義というか利己主義というか、自分を中心にして世間を見渡す視点だけに偏りすぎることで、巡り巡っては自らもその歪みを受けることになる。そういうことを先人は教えとして受け継いできた。それにもかかわらずいまだに品薄な商品を見つけては、買い占めて、価格を吊り上げて利益を貪ろうとすることが「自由経済活動」だと勘違いしている。それは決して誰にとっても幸せにならないことぐらいわかっているはずなのにね。

価値の提供

商いの基本はどこまでいっても、相手に価値を提供する事。その一点でシンプルに判断するといいね。価格を吊り上げて一時的に儲けている人がたくさんいる。それはずるいと感じているけれど、そんなに儲かるならやってみたいと思うね。そんなにうまい話があるんだったら誰しも知りたいと常々思っている。そんな世の中にしたのは他の誰でもなく少しはそう思っているあなたなんだよ。そういう話に興味津々だからこそ、うまい話で悲しむ人が絶えない。転売ヤーは経済活動の一つだと嫌々ながらもそう思うしかないと考えているからだね。それを悪とか犯罪とかと考える前に基本に立ち返ってみよう。商いは相手に価値を提供するという思いがそこにある。そういう思いを繋いでいくための利益なんだよね。それが大きく返ってきたときに、富裕層は寄付をしているね。社会に返すことでまたみんなが潤う。そうするとまた返ってくる事を知っているからそうするんだよ。さて、そういう思いでその商いをやっているかな?