物足りない

日々

何か足りない

いつもと同じことをやって、つつがなく物事が片付いていって、特に大きなトラブルもない一日。それなのに、なぜだかあなたは物足りない顔をしているね。かと言って、もちろん厄介ごとばかりもゴメンだと思っている。ちょっとした刺激を求めてはいるけれど、大抵は大ごとになり過ぎて辟易している。ちょうどいい感じに刺激的な日々を過ごしたいものだと何となく思っている。よく考えてみたら何てわがままな欲求なんだろうね。でもほとんどの人がそう思ってそれを日常と一括りにしているんじゃないかな。病になって初めて健康のありがたさに気づくように、同じ事をどうってことのない毎日をありがたいとは思えないみたい。どうしてそうなるんだろうね。

変わらぬ日々

そうやって一日が過ぎていくことがなんだかとても退屈だと思っているけれど、もちろんそれは大きく間違っているね。何事もない日々がどれほど幸せなことかを噛みしめていられるのは、大きなトラブルがあった直後だけだね。ようやくホッと一息ついたそのしばらくでしかそれが感じられないなら、あなたの人生は必然的に波乱に満ちたものになるしかない。なぜなら目の前にすでにある幸せをそのまま感じられないから、あなたは余計なトラブルを起こしているんだからね。幸せは求めるものではなくて、ずっとそばにあって、すぐそこにあるんだよ。それを感じられるかどうかだけの問題なんだよ。そう、幸せになるのに複雑な方法は一切不要だね。今すぐそこで幸せになれるのはそういうことなんだよ。

波瀾万丈

そうやってたまによくわからなくなるから、あなたはいつも厄介ごとを呼び寄せる。大きな波と小さな波を起こして、そのコントラストで幸せがいつもそばにあることを確かめているね。でも、その確認方法に慣れてしまうと、さらに強い刺激がないと何も感じ取れない感覚になってしまう。それに、いいことの後には悪いことが必ず起きないと困ってしまうようになるんだ。おそらくかなりそれは信じられていて、その通りに呼び寄せているね。だから、そんな確認方法をやめて、たまには身近なものに目を向けるようにしてみてよ。こんなの無駄だよと気にも留めていないことの中に真実はいつもある。その事がわかるとこの世の仕組みがみえてくる。明日のご褒美よりも、目の前のお茶を味わうことが幸せになる。将来のため未来のためより、今そこで叶っているすべてのことにありがとうを感じられる。そうなれば何もしなくてもそのままでいいという、なんだかよくわからない自信が生まれるよ。だから例外なく、そのまんまですぐに幸せになれるね。