杞憂

日々

すべては杞憂

心配事は探せばいくらでも見つかるね。なんでもない日々を過ごしているのにも関わらず、そのなんでもない日の中でのリスクは数え切れないほど見つかる。それは見つけようとするから見つかるのであって、今までなんとも思わなかったのは、見つけようとしていないからだね。なら、見つけようとするのはどうしてかと言えば、あなたが心配事を生み出したいからなんだよね。あなたが仕掛けた心配事をあなたが起こしている。それが心配事の仕組みってわけだ。だから、この世のあらゆる災いごとは、あなたの中にしかないということになる。そんなわけない、とあなたは思う。例えば難しい世界情勢なんてわけわからないしと思っているけれど、そもそもあなたの理解できないことはそこには初めから存在しないね。だってそれは認識できないことだから悩みようもない。テレビのアナウンサーが心配事をいつも語りかけてくるとき、誰が誰に話しかけているのかを感じながら見てみるといいかもね。

世界情勢?

自分のことで精一杯なのに、世界で何が問題なのかなんて知らないし、わからない。そう思っているね。それはそうだろう。行ったことも見たこともない国でなんかとんでもない問題が起きていると言われても、そりゃ大変だねぇとしか言えない。ましてや、その問題ごとの原因を分析して解決方法を探し出せるぐらいの知識も経験も持ち合わせていない。でも、たまたまあなたはそのニュースを目にしたことは事実だね。それはどうしてだろう。何も理解できない言葉でそのニュースが流れていたら、あなたは何も知らないままだっただろう。たまたま興味関心もないニュースを見て、その内容はなんとなくわかったということは、あなたの中の出来事であるということだね。なんだか大変なことばかりの世界があなたの心の中に漠然と広がっている。

繋がってくる

すべては繋がっているね。繋がりをさらに加速している世界が今広がっている。スマホを肌身離さず持ち歩いている。持っているだけでなくて四六時中画面を眺めているし、誰かとまさに繋がっているね。途切れない時代であるとも言えるかもしれない。もちろんこれは年代で分断されている状態でもあるね。お年寄りもようやくスマホを持つようになってきた。けれど若者の使い方とは全く違っているね。繋がり度合いが違うとも言える。そんななかでもどんどん繋がっていく。すべてがリンクした時、どんな新しい世界がそこに広がっているんだろうね。まぁ、そんなことを考えるのもすべて杞憂だけどね。