無関係

日々

周り

あなたが幸せになりたいのなら、まずは周りを幸せにしなさい、なんてことを聞いたことがあるね。そんなバカなと思っていつもは聞き流している。イエス様にはなれないあなたは全くもって信じていない。そんなすべての人の罪を請け負うようなことはできないね。だからあなたはいつもこう考えている。まずはあなたが幸せになり、そしてそのお裾分けで周りも幸せにしてあげられるとね。まずは自らが幸せになれないうちに、周りの幸せに目を向けるなんておよそ不可能だよね。そう固く信じているその信念が、あなたの日常という景色を生み出しているんだよ。

信じてやまない

日常の風景はそうして脳内で映像化される。見たいものが見えるとか、すでに願いが叶っているとか、あなただけの世界とかそんなふうに言われるそれは、信じている枠組みに沿って物事のようなものが動くように見えるということを表している。例えば雨は空から降ってくるもので、地面からは湧き上がってくるものは雨ではないね。それはあなたがそう信じているからそうなっている。友とは基本信頼できる存在だけど、たまに悪い友もいて裏切られることもあるとかもそうだね。良いことがあれば悪いこともあるとか、そういうことはすべてそのあなたの信じている通りにこの世に出現しているね。あなたが理解できないことはそもそも存在できないし、あっても見えないね。あなたに見えないものは、あなたの世界には存在していないことと同じだよね。

世間のからくり

現実を変えたくて直接そこに手を伸ばしてみても何も変わらない。それは、早く大きくなって欲しい植物の芽を引っ張って伸ばすのと同じ無駄なことだね。引っ張ったところでちぎれてしまうだけ。そこで何をしているかを考えてみると、水をやったり肥料をまいたり、周りの雑草を取り除いたりしているね。そう、周りの環境を成長するためにせっせと整えているね。そうすることで植物の自らのエネルギーが最大限に発揮できるようにしてあげている。ほら、そこに幸せの仕組みと同じものを感じるね。幸せになれる薬を飲むんではなくて、全く関係のないように思える周りをまずは整えている。なぜそんなことがあなたに関係あるのかってまだ思っているのなら、それはあなたの信念が幸せは決して手に入らないと信じ続けているからだね。もはやそれは、幸せになりたくないっていう一種の信仰とも言えるね。