決断

日々

断れない

自分と意見が違ったりすることはすべて断れと言われる。しかし実際には気を遣って断り切れないんじゃないかな。気の乗らない飲み会や、雑務のための残業、ちょっとした清掃とか、今それをやらなければならない理由が見つからないのに断れないあなたがいる。また、この仕事はあなたがやらないといけないと思い込んでいるけれど、ほとんどの場合はあなたがそれをやらなくても大抵の場合はどうってことない。残念ながらそれはあなたがやるべきことでもなく、さらにはやってもやらなくても誰かが代わりにできるようなことに過ぎないという現実を受け入れよう。まずはそこからだね。

だが断る

決断する力とは、断ることを決める力だね。そうやって断る力が新たな可能性を生み出す。あなたはあなたのやるべきことをやればそれでいい。だけど他人の意見という雑音で自分の心の声が聞こえなくなっている。だからその友達や付き合いは、はっきり言って害でしかないんだよ。でも孤独に耐えられるほどの強さを持たないのも、いつも他人の顔色を伺うことに慣れてしまっているからだね。他人の意見という雑音を消すためには、孤独にならなければならないね。孤独は悪いイメージがいつの間にかついているけれど、孤独は本来崇高な状態だったはずだね。おひとり様とか言ってマスコミが騒ぎ立てているが、誰がどういようともいなくても、生まれてくる時と死ぬ時はあなたは絶対に体験できない。認識できる生死はすべて他人のものだけだね。だからおひとり様が寂しいとか社会問題だとかいうときは、あなた自身の死後の世界まで暗に含んでしまっているね。そう、これが雑音の正体なんだよ。よく考えてみれば全て何の意味もなく、しかも害でしかない薄っぺらい情報でしかないね。そんなものの顔色を伺ってきたんだよ。

虻蜂取らず

八方美人であれこれとどれほど気を遣っても、遅かれ早かれいずれ破綻するのは目に見えている。そんなことも知らずにやっているわけでもないよね。おそらくあなた自身が痛いほど知りつつずるずるとやり続けている。だって、ここでやっぱりやーめたと言うだけの勇気がなかなか出ないからだね。だから断る技術が大切になる。断る基準はどうしてもやりたいことでなければ全部断ること。それもできるだけ即断がいいね。検討しますと言って先延ばしにしなければならない状況も稀にあるだろうけれど、できればしない方がいい。変に気を持たせると不毛なトラブルのもとになるからね。冷酷だと感じているかもしれないけれど、意思表示とか自分らしくとはそういうことだね。同じ人間がいないことがこの世の奇跡であり素晴らしさでもあるんだから、気にせずバシッと意思表示すること。それが多様性であり個々人への尊重なんだよ。絆とかエールとかそんなものはろくなもんじゃないから注意してね。そしてそうやって自分らしさのために全力を注げば、不思議なことに自然と人があなたに集まってくるようになるんだよ。