解明

日々

不愉快

今年はあまり愉快なことが少なかったような気がしているね。その一方で色々と今どんな社会なのかを炙り出した一年でもあった。現実にいろんなことが起こる中で、仕事を失った瞬間にどうしようもないような境遇な人が結構な数いて、子どもが学校へ行かないだけで生活が回らなくなる家庭も無視できないぐらいの数であったね。これほど医療先進国だと自慢していた体制はあっという間に逼迫し、救急車で搬送されたとしても平熱でなければたらい回しになるという事実が広く知られた。今も減るどころかどんどん増えていく陽性者の数。そういえば陽性者というよくわからない言葉もそれ以前はなかったね。PCR検査で検出された人という意味で使われているのかな。だから必ずしも感染者ではないという言葉だね。どうして感染者としてカウントしないのか。陽性者は知らず知らずのうちに感染源となってばら撒く仲介者のように思っているけれど、その事実は確認されたのかな。そんなことも全部イメージでそれぞれが解釈しているような社会とそれを防がない為政者。一体この先はどうしていきたいのかよくわからないね。

村社会

感染者が出れば村八分となる地域があるらしい。それは本能的にそうなっているんだろうね。人類は集団でしか生き延びることができなかった。だから遺伝子情報に集団の和を乱す存在を忌み嫌うことが刷り込まれているからだね。歴史を紐解けば、西洋でも魔女狩りがあったように、アジア的には五人組や村八分などがある。集団から逸脱するユニークな存在は、集団で生き延びることを阻害する要因になる。さらに、その阻害要因を排除することに脳のドーパミンが出ることもわかっている。SNSでなんの関係もない人に対しても正義の制裁を下してしまうのも、その本能から理由が説明できる。だからこそ、現代でも集団的な抗争がなくならない。これは本能であって、避けようがない本質の特性であるからだね。

浮き彫り

そう、これらは人類の本能としてそうなっているわけであって、さらにその本能を揺さぶる事象が起こったから故に、本能的攻撃性が浮き彫りになったわけだね。それは忌まわしい問題を引き起こしている一方で、自分の考えとは違う他人を徹底的に攻撃する快感によって生き延びてきたのも事実である。そういう社会の枠組みにどっぷりつかっている。誰もがそこから逃れることはできないけれど、それを踏まえてどうするかを選択する余地は残っているね。綺麗事だけで世の中がどうこうなるわけではない。けれど、ドロドロした闘争本能だけでもうまくはいかない。現代ではかえって犠牲者が多くて合理的な選択ではない場合が多いね。だからこそ枠組みを変える必要があるのがこれからの時代だね。これまでの枠組みをどうチェンジしていくかというのが新しい試みとして生まれつつある。そしてこれは他人事ではなくて、あなたにとっても今すぐできることだよね。