絵に描いた餅

日々

やらないリスト

一年の計は元旦にあり、なんていう言葉があるね。それに沿って書初めなんかに今年の目標を立てなさいと偉い人たちはいう。でもそれが達成したとしてどうなんだってことだね。目標を立てて達成したら、また目標を立てるという繰り返しに何か意味があるのか。そんなことを思っていても口には出せないから黙ってるけれど、そう思っている人も多いんじゃないかな。人生に目標なんていらないというか、生きている今で十分だと思っているんだけど、それは碌でもない考えなのかな。やりたいことリストなんて書き出すぐらいだったら、今年こそ絶対やらないリストを書いてしまうのは、やっぱり元からそういう天邪鬼な性格からだろうね。

意気込み

心機一転とかいうタイミングには元旦はちょうどいいね。でも旧暦で言えばまだ11月半ばなんだけれど。まぁ、どこで区切るかなんていい加減なものだからどこでもいいんだけれど、特別に感じているという想いの方が大切だね。なんでもない日でも記念日に変えられる力があるのが人の知恵だから、こういうときこそフル活用した方がいいとは思う。まぁ、今日を区切りに西暦はまた1年を刻み始めるんだから、想いも新たにできることがあればしてみるのもいいね。さて、あなたはどんなことを決めたのかな。

もちろん餅

正月になるとなぜか餅を食べる習慣が根強く残っているね。いつでも餅は食べたい時に食べたらいいと思うし、そうしている人も多いとは思うけれど、正月の餅は特別なのか無理してでも食べる人が多いね。そのせいで残念ながら餅を喉に詰まらせて大変になる事件が毎年起こる。これほど起こっているのでもう食べるのをやめたらいいと思うけれど、そうもいかないみたい。とっても不思議に思うけれど、どうしてもそれをしなければ正月の気分になれないということだろうね。正月の気分の正体は一体なんだろうね。

変わり続ける

とにかく生命が生き残るためには変わり続けることが必須だね。気が付かないけれど皮膚や髪の毛をはじめとする細胞は生まれては死んでいる。変わり続けてないのは死を意味する。そういう意味ではあなたはいつも生まれ変わっていて同じあなたはどこにもいないね。そう、何が大切かというと従来のお正月も文化だけれど、それも少しずつ変化することが結局はお正月が生き延びることになるんだよ。昔から代々続いているからといってそのまま踏襲しているものはすでに死んでいるということだね。お雑煮とかおせちとか古来の文化だと思って大事にしているけれど、歴史的には実はそんなに古くはないことばかり。社会情勢や環境も変わりつつある中で、お餅を食べ続けている正月はすでに歴史資料の一部と化しているわけだから、それをわざわざ再現しなくても自由に過ごせばいいね。今年の目標よりも瞬間瞬間に常に生まれて死ぬを繰り返しているということを見つめた方がいいと思うんだけど、どうよ、やっぱりダメかな。