無邪気
子どもと大人
何でも面白がるのが子どもで、いつもしかめっ面しているのが大人だなんて思っていないかな。そんなあなたも幼き日々は、見るもの聞くものすべてがキラキラして面白がっていたはずだよね。どんなことにでも興味を持ち、それがうまくいってもそうでなくても笑っていたかもしれない。ところが、今はまったく逆で知らないことややってみたことがないことが最悪に見えてしまうね。失敗したらどうするんだという恐怖に支配されてしまっている。そういう風になってしまったのはいつからだろうね。成功と失敗にすぐに分けて考えてしまう癖みたいなものがいつの間にか染み付いてしまっているね。それもいつも成功するという風に考えられたらまだ人生を楽しめるはずだけど、ほとんどが失敗するんじゃないかとビクビクしている。できることしかできないと思い込み、新しいことに挑戦できなくってしまうのが大人というのかな。まぁ、どんな変化にでも対応できる力があるのは果たしてどっちだろうね。
分別
そうやっていつも損か得か、勝ちか負けか、成功か失敗かなんて分類して分かったつもりのふりをするのが大人であるならば、毎日はとても辛いことだらけになるのは至極当然だよね。大人なんだから、後先も考えずにとりあえずやってみてダメだったらしかたがない、なんていうことは子供じみていると思っている。だから必ず得であり、勝ちであり、成功という選択肢しか残されていない。それ以外の選択肢は自ら消してしまっている。もっと他の見方をすれば無限にある選択肢を狭べてしまっているから、そこから見える景色はもう針の穴ぐらいの窓から辛うじて見える小さな小さなものでしかないね。いずれにせよ、自ら分別ある大人を目指しているのなら今すぐそれをやめた方が楽しそうだね。
周りの意見
その元にあるのはなんだろうね。おそらく周りから褒められたり、尊敬されたり、認められたりしたいからだね。そうやっていつも人生を確認しているんだね。それまではあなたと周りの境目が曖昧だったからこそ、そんなにあなたがここにいるということを確認しなくてもよかったわけだね。大人になるってことはあなたとそれ以外という境界線をどんどん生み出すこと。境界線をどんどん増やしてあなたはあなただと信じているけれど、どんな風に線を引いたところで、実際のあなたはどの線の内側にもいない。むしろ内側か外側かもわからなくなってしまうね。もう線が多すぎてわかりませんと言っているのがあなた。あなたはどこにもいないけれど、それは周りの意見だと線を引いているのは誰だろうね。一旦その線を全部消してみたら気づくね。もともと全ては大きな一つでしかないことをね。