うたかた
流れにのる
運転しているときに、スムーズにできる時とそうでない時の違いは流れに乗っているかいないかだね。もう絶妙に快適に運転している時は、運転していることすら忘れるほどすべてが自然で何の引っかかりもそこにはない。ただ行きたい方向にどんどん進んでいく感覚しかなく、さらには車の流れが全体的に感じられて、なんだか視界に入る車やバイクをすべて自分が司っている感覚になる。交通安全なんかの講習でも、だろう運転はやめようとか言われるね。あの車はたぶんこっちに気がついているだろうとか、まさかそこから曲がってこないだろうと思って事故を起こすことがほとんどらしいね。スムーズな全体の流れを感じているときは、そんな不整合は起こらない。もう、どの車がどう動くかなんて手にとるようにわかるからだね。実際はそんなこと滅多にないんだけれど、稀にとてもスムーズな時は全体を感じられ一つに感じている瞬間でもあるね。
ぎくしゃく
仕事でも遊びでも同じことが言えるね。一部分だけしか見えずに、他がどうしてどうなっているかもわからず、ただひたすらに個として目の前の分をやろうとしてもうまくいかない。なぜならそこに流れている総体が感じられていないから、流れそのものからかけ離れてしまっているからね。そういう状態は交通で言うと、ビクビクしながら公道を走る初心者ドライバーと同じだね。前の車しか見てなくて、後ろの車なんてみる余裕もないし、ましてや隣の車線やその先の車がどの方向に行こうと流れているかなんて感じられる余裕すらない。そこで運転操作がうまくいかなかったりしたらそこに意識が集中してしまって、周りのことなんて見えていない瞬間が起こる。まったくスムーズではないし流れに乗れていないね。そのときの心の状態は普段感じているなんとなくの不安や不幸と似ているのではないかな。
安らぎ
たぶん、事がスムーズに運ぶということは、そこにある流れと一体化している状態にあるんだろう。そこでは何も区切りがないね。邪魔する障壁もない。自分さえ溶けてなくなっている状態が安らぎであり、いつも願っている幸せの正体だね。もっと言うとそもそも幸せだったから、その幸せをずっと探し求めることができるんだよね。今を不幸だと思っているのも、幸せを知っていないとそういう感情は起こり得ないね。ということは、元々すべては一つの流れだった。わざわざその大いなるスムーズな流れを堰き止めて、そこから小さな泡、つまり分離されたあなたを生み出したんだね。たぶん今のあなたに起こることを確かめたくてね。だから不幸を感じてみるという体験もその願いの一つということになるんだよ。