つながる
呟き
今はSNSなんかで色んな人と繋がっている時代。だからこそ、リアルとネットの二つの世界が分断されている傾向にあるね。色々と呟いているけれど、一体それは誰に向かって呟いているのかわからなくなる。その究極の答えとしては誰にも呟いてはいないということになるのかな。独り言であってそれは自分の世界だけに呟いているとも言えるね。ただ一方で、その単なる呟いたテキストデータがネットを駆け巡って世界中に行き渡ることで様々な反応が起こっているね。それはやっぱりそういう呟きをした人の責任となるんだろうか。それともそれに反応した人のせいになるのだろうか。その辺りはぼんやりしていてわかりにくいはずなのに、今はほとんど呟いた本人のせいにするという風になりつつあるようだね。
ウワサ
たまたまランチをレストランで食べていたら、自分の会社のことを話題にしている知らない人と遭遇したりする。そこでは、色んな感想が会話として聞こえてくるんだけど、慌ててそれは知らないふりをしてできれば聞こえない方がいいかなと思ったりしているあなたがいるね。聞きたくないけれど興味があったりとかで複雑な思いでその場にいる。で、その後その聞いた内容を同僚に話すとしても、どうだろう、全部そのまま話すかな。それとも主要な部分だけを編集したあなたの言葉で言い換えた感じで伝えるかな。そこなんだよね。SNSは文字だから記号としてそのままダイレクトに広がるね。そこに怖さと難しさがある。さらに言葉を読み解く力っていうのも人それぞれで違ったりすることも想定しておかないといけない。
オフライン
基本何を言ってもいいんだよ、というスタンスが大切とされているのが民主主義だね。現代の政府では言論や表現の自由を基本的に認めているね。しかし、それには条件があって他の人が不快に思ったり傷ついたりしない限りは自由であるということなんだよね。誰かがその発言や表現で辛い思いをしているとするならば、その自由と引き換えに責任を負うという仕組みになっている。そう、自由ってそういう意味で本当は自由じゃないんだよね。そこらあたりはとても複雑な話になりがちだけど、スパッと切れば自由はどこにもないのが現代社会。一人無人島で暮らしているなら誰にも伝わらないので完全なる発言の自由がそこにある。というか、そもそも発言や呟きという行為自体が成立していないね。しかしこれがネットの力で無人島に住んでいたとしても、ネットで他の島の人々と繋がった瞬間に呟きの責任が発生する。オフラインでの発言は完全自由であっても、オンラインでの呟きには責任が伴うので慎重になる。そうして分断された世界を行き来する社会を生きているつもりになる。けれども、何を断ち切って何を繋いでいるのかはよくわからなくなっているね。そもそもその分断は本当にそこにあるのかな。どうなんだろうね。