深刻さ
当時の判断
あの時はどうなるかと思ったよ、なんて後になればなるほど、どうでも良い思い出になるね。当時の深刻さは一体どこへいってしまったのか、なんてちょっと不思議に思うことばかりだね。なのにその当時はキリキリして胸が痛くてどうしようもなかった。これも後からわかることだけど、その直後の判断と今の判断は全く違ったものとなっているね。おおよそ時間が経てば経つほど笑い話や良い話となる。だいたい直後の判断はシビアになってしまうのはどうしてだろうね。
失敗の裏側
いつの間にか上手になっていることがある。それを誇らしく思っているあなたがそこにいる。そうなった苦労や努力も多少あっただろうけれど、あなたはそれを苦労とは思わなかった。だからひたすら続けて得意になったわけだね。周りからみると、それはもう呆れるほど愚直に見えて「本当、よくやるね」ということになる。でもあなたはそれが至極の時であり、時間さえもそこでは止まっていたね。乗り始めたばかりの子どもが乗る自転車のように、周りの大人をヒヤヒヤさせることばかりで何度もひっくり返ってこけるんだけど、本人はケラケラ笑っているのに似ているね。もしあのときの子どもがこけたことに深刻になっていたら、今でも自転車に乗るのは苦手なままかもしれないね。直後の判断がシビアになったのは、おそらく生まれつきではないようだね。とにかく今までの失敗と挑戦の数は、あなたがそれを得意な分だけ人一倍多いよね。
深刻さ
心の痛みと同時に生まれるのが、そのモノサシである、程度を表す言葉として使う深刻という言葉だね。悲惨とかひどいとか、いかに周りと違うかという区別をしようとしたときに生まれるみたい。子どもの頃ケラケラ笑いながら何度も自転車でこけたとしても、深刻にならなかったのはどうやらその区別がなかったからだね。いつの間にか大人になるにつれて、周りと区別することで生きていることを確認するようになった。だからその度合いを表す言葉を多用するようになっているね。でもそれは周りと比べるからそうなるだけで、あなたはあなたの中でどう見ているかという一言に尽きるんだよね。思い詰めて深刻になったときは、深刻さは時がたてばどこかへなくなってしまっていることを思い出してみよう。そう、深刻さは見ている場所によって生まれたり消えたりするもの。だから実態はどこにもないね。深刻な顔して気を病んでいることも、実態はない幻想だから、度を越えなければ大切な思い出と変わるんだから大丈夫だよ。