依存
幸せになれますよ
これさえ信じれば幸せになれますよ、なんて言い寄ってくる人には警戒するね。幸せは何かに頼って実現するものではないと本能的に思っているからだね。でも、幸せにこだわるあまりについその罠にかかってしまっているよ。せめて不幸だけは避けたいとか、嫌なことがない方がいいとか、嫌われるより好かれる方がいいとか、そういう基準ですべてのものを見て判断していないかな。無意識にそうしてしまっていることに気がつくことが、実は幸せの正体を見破るきっかけになるんだよ。でも、なかなか幸せだの不幸だの愛だのとこだわり始めると、とたんにその魔の手に捕まってしまうから注意しないとね。
安心ですよ
健康、安全、安心なんかを求めて、あれはダメ、これもダメと否定しはじめて、これが正解、こうすべきとなった瞬間に、安心教という宗派に入信したことになる。現実はたくさんあって人によってまちまちなんだけど、安心教はそれを否定する。それは危険だ、それは危ない、それは健康を害すると信じてしまうと、途端にそれ以外は悪となって忌まわしいものとなってしまう。健康にこだわりはじめると、そうでないものはすべてダメなものとして浮かび上がってくるね。そうしてそれは信条となり、下手をすればそれ以外を徹底的に排除するような行動に出てしまうね。あなたの人生を保証するものなんてあなたしかいないのに、それを外の何かに委ねるのは、カルト化と紙一重でもあるのは知っておいた方がいいね。
何を信じる
クリスマスイブにはサンタがプレゼントを持ってきてくれるという、ささやかな子どもたちの夢がある。それを信じる、信じないは全くの自由だね。信じればそうであるし、疑ってかかればそれは嘘になる。そんな違いでは喧嘩にはならないね。オーガニックな野菜は体に良いけれど、スーパーで売っている野菜は体に悪いと信じれば、そうでない人に怒りを感じるようになる。そうなったなら、それは危険信号だね。美味しいと思うのはあなたの世界だからそれはそうでいい。けれど、美味しいと思わない人にはその人の世界でいいんだよね。それが許せないと思い始めたらあなたはもう、何か外のことに委ね始めている。それがひどくなるとこれさえあれば幸せになれると考えるようになる入り口に立っているよ。何かがないと健康や安心や幸せになれないっていう歪んだ世界の一歩手前で踏みとどまってね。