自由時間

日々

スケジュール

Todoリストやスケジュールを管理するツールやアプリを使うと、何かイベントがないかと探すようになるね。例えばせっかくシステム手帳を買って、いろんなデコるシールも買って、カレンダーも新調したりするとそこにどんどんスケジュールを埋めたくなるね。でもよく考えてみたら、もう覚えきれないほどのスケジュールなんてなくて、だいたいは定番化してルーティン化しているイベントから書き込んで何とかその広大な隙間を埋めていく。挙げ句の果てには、爪を切るとか掃除するとかそういったものまで追加して、アプリや道具を使いこなすためにイベントを生み出したりするね。人生カレンダーとしてみたときに、いろんなことが詰まったカレンダーほど何か功績が残ってポイントアップしていることにしたいから、必死に空いている隙間に何かを入れたくなるね。

忙しさはワクワクさ

どんどんいろんなイベントを入れていくと、スケジュールがキラキラ輝いて見えるね。でも実際は予想外のイベントがいろいろ起こってその通りにならなかったりする。そう、懐かしい夏休みの生活の計画のようにね。朝7時に起きて8時には朝食を食べて、9時からは学校の宿題をやって12時にはお昼ご飯を食べる。午後は昼寝を3時間してあとは自由時間なんて書いていた。自由時間までもスケジュールに組み込んでいることがその当時はとても不思議だったね。とにかく朝起きて寝るまでを何か埋めないといけないという強迫観念はそこから生まれたのかもしれないね。でもここに大きな示唆がある。楽しいこともそうでないことも区別したら苦しくなるけれど、宿題をやるべき時間でも、楽しい遊びの時間でも、自由に組み替えて過ごせるということが本来の自由時間なんだよね。ということは、いろいろやることがたくさんあった方が結局その通りに行かないという可能性が高くなって、組み替える自由時間が増えるってわけだね。

想定外

アンダーコントロールでないから自由なんだよ。想定外なことが起こるのをスケジュールには書けないね。だからこそスケジュール帳に日常ルーティンを記録しておく意味が生まれるんだね。その通りにならないことぐらいはある程度わかっているし、会議の予定だって1時間で無条件に入れていたりするけれど、例えばそれを50分にして入れ直してもいいね。最近だと会議なんて無駄の極みだから30分以上他人のスケジュールを埋めたりすると強制的に消去されたりするかもね。会議の後はランチとかでも、ランチすら取れないスケジュールになってしまっている上司がいるかもしれない。そういうところでもしかしたら部下に反撃されているのかもしれないよ。いずれにせよ想定外なことが起こるのをスケジュールを埋めて待っている。そこにスケジュール管理の本質があるね。システム手帳なんてアナログなやり方でもいいし、Todo管理アプリでイベントごと管理するのもいい。とにかく埋めることに夢中になるのは同じことだね。そこに自由が待っているからそうするんだよ。空っぽのスケジュールではそれができないからね。