レベル差

日々

高低さ

別にレベルが高いからいいとか偉いとかそういう話ではないけれど、見ているところが違うことがあるね。どちらが高いとか低いとかはその時の文脈によって決まっているだけで、絶対値ではない。まぁ、わかった風に言っているけれどこれも実は後で気がつくことなんだけどね。渦中にいるときはプンプンしながらレベルの違いが埋められないとか憤っていたこともあったけれどね。単純にどこを見ているか、どこから見ているか、それだけに過ぎないことなんだよね。

高度10000フィート

飛行機ではフライトレベルという高度を表す言葉があるね。これは単純に地表面からの高さを表している。地表の山などにぶつからないようにするのと、飛行機どうしが衝突しないように適切に高度を指定して変えているようだね。さて、ここで高く飛んでいる飛行機から見える景色と、低く飛んでいるそれとは全く違うことがわかるね。それがレベルの差だと感じるんだよ。だからと言って高く飛んでいる飛行機が特に秀でているわけでもないね。そういうことだよ。むしろ低く飛ぶ方が飛行技術はより精度を要求されるから、そっちの方が技術レベル的には高いかもしれないね。何をモノサシにして偉い、偉くないと呼ぶかによって単純にその場で定義づけられているだけ。横断歩道の白い線のところしか踏んだらダメなんていう、ローカルルールと同じぐらいの意味しか持たないね。

溝を埋める

レベル差がある場合に、そのままにして放っておくわけにいかない場合にすることは一つだね。高さを合わせるということだね。それはどちかに合わせるのもいいし、どちらも歩み寄ってもいいね。方法は一つではない。まずは合わさってからすべてが始まるね。それなのに偉いのはどっちだとか、高い方に合わせるべきだとか、高いのは偉そうだとか、そういう関係のない議論に終始してしまうね。それでは感情をむき出しにした争い事が生じるけれど、結局問題は何も解決はしないね。それでもたまに溝が埋まったりすることがあるから厄介だね。その仕掛けは簡単で、問題を問題だと思いこんでいた魔法が解けたから。身も蓋もないことを言えば、そもそもレベルも視点も問題もどこにもなかったんだよ。