馬鹿者たち
反応ロボット
振り返ればこれまで、何一つ自分の頭で考えたことなんてなかった。幼少期は真似をして育ち、学校では決められたことを覚え、社会では会社のしきたりに合わせるだけで、自分の意見や考えなどほとんど求められることはないね。だからテレビで有名なアナウンサーが言っているからと信じ、新聞は漢字や文章を読み解いているので、テレビよりも高尚な感じでより信頼性が高い情報だとか、そういうレベルでの議論しかできない。そう、ほとんどの人は自分が今何をしているのかさえも、わからないまま生きている。かつてテレビは、見れば見るほどダメになるとか言われていた。確かに少し前の文学を顧みれば、文章能力は同じ年齢で考えるにしても確実に低下しているのは事実だね。一方でSNSや映像で表現することに関しては比較のしようもないね。新しい能力が現代には開花しているから、文章能力だけでうんぬんはもはや時代の流れということだろうね。
思考する人
ネットで情報を簡単に得られる時代になって久しい。けれど、スマートフォンで何を見ているかと聞くと、LINEニュースだとかYahooニュースだとかそういった言葉が返ってくる。しかしその内容は大手メディアから供給されたものでしかないので、結局は新聞社やテレビ局のニュースをネットで見ているつもりになっているだけなんだよ。私はネットで情報を仕入れている、なんて言葉を聞くたびに、それは従来のやり方がスマホの画面になっただけで内容は全く変わってないんだけど、などと微妙な気持ちになる。例えそれを指摘したところで、自分が何を言っているのかもおそらくわからないだろうね。古臭いマスメディアじゃなくて、最新のネットから情報を得ているつもりの人たちは、テレビや新聞とはちょっと違っていると思い込んでしまう。元のソースはマスコミのものなのに。そうやっていつの間にか違う誰かの意見を自分の意見にしてしまう癖がついてしまっているね。
巧妙な罠
自分で思考できる人がたくさんいる社会は、統合がしにくいね。無条件に、地位が高く偉い人はすごい人、先生は絶対、上司は神、なんて思ってくれた方がありがたい。そうでないとやりにくいのは統制する側の都合だね。学校教育はその際たるもので、もはや致命的な洗脳装置化しているね。自分で考える機会を徹底的に奪っている。今は受験のシーズンだね。今年からは受験制度も大きく変えると意気込んでいたけれど、ペーパーテストの中身を開いてみたら、普通なら卒倒するぐらいなんじゃこりゃ?状態だね。何が思考力や判断力を問う試験だと、空いた口が塞がらない。テストは必要だけどできるだけ手間暇やコストはかけたくない、という集大成がこれなのかと惨憺たる気持ちになる。ま、そのあたりの希望はそんなシステムに乗っかっているふりをしている若者たちがいつもいるってことだね。応援はしても邪魔をしないってことが一番の支援だから。説教なんて若者にするのではなくて自分自身にしておけばいいってことだね。