えらいこっちゃ
根も葉もない
何が起こっても気にしないことが大切なんだけれど、かといってわざと無視したりするのは好きな人をいじめてしまったりするようなもの。だからそれは気にしていることになるね。気にするなと言われてもなかなかそううまくはいかないから、一旦気にかけてみよう。そして、そのことときちんと向き合って「それがどうした」と何回か自問自答して突き詰めていくと、必ず最後には何も残らないよ。何もないのにあなたは大慌てでなぜか焦って冷や汗をかいている。何か重大なことのように思っているのは誰でもなくあなた一人だね。他人に迷惑をかけたと思うなら、素直に過ちを認めて謝れば良いだけなのに、それが気に入らないから何とかしようとして一人芝居を演じている。側から見たらとても滑稽に見えるだろうね。でもあなたは実際にそれさえも確かめることは出来ない。なぜならあなただけの一人芝居をわかる人は誰一人として居ないからね。
あなたのせい
だから、全てはあなたのせいだと言えばそうなるね。あなたの世界で起こっていることだからね。でもあなたは言う。周りがそれで大変な思いをしているとね。でも、それもあなたの世界でそうなっているだけだね。周りを証明することはどうやらできそうにない。仮にそうであってもあなたの問題ではないね。あなたがそれに対して何かできることはあるのかな。もし何もなければそれ以上気に病んだとしてもしょうがないね。だからそれはあなたの問題ではないということ。実際迷惑があるとしても、どれほどなのかもあなたが推し量る範囲でしか理解のしようがないね。
焦点
つまり、そこに焦点を当てれば当てるほど問題は深く狭くなる。そしてその問題を大きく成長させるエネルギーをあなたがせっせと与えていることになる。だから気にしないことだと先人は言っているんだね。いやいや、そんな薄情なことはできないって?繰り返しになるけれど、無視するとか見ないふりじゃないよ。それはふりだけで焦点はもうばっちり当たっているからね。一度まずはその問題と真っ直ぐ向き合って同化するって言えばわかりやすかな。もう、その「えらいこっちゃ」があなたそのもの。あなたの人生は無数の出来事でできていて「えらいこっちゃ」でできている。無数の出来事は今も起きているし、それらを一つ一つえらいこっちゃと騒ぐことはできない。だから気にしなければそのまま通り過ぎていくだけだね。慌てない、慌てない、一休み、一休み、ってことだよ。