選ばれし戦士

日々

引き出す

本来教育とは、できなかったことができるようになるのではなくて、もともとの素性を引き出して磨きをかけることだね。苦手なことを克服することがいいとされているけれど、そんな時間があったら得意なことを伸ばした方が限られた資源の中では得策だね。でも実際はそうではないよね。学校で現在行われているのは明らかに教育ではなくて、洗脳と選別だね。いわば国力を上げる有望な人物の選別装置にすぎない。もちろん読み書き算盤は今は学校で習うんだけど、それ以外の不必要な集団生活、集団行動、従順さ、素直さ、自己犠牲などは明らかに別に目的があるのは、誰の目にも明らかだね。式典、体育大会、文化祭、その他の儀式はそこで培われている。集団行動や献身的な思想を持てないと落ちこぼれという烙印を押されてしまう。けれど、それは頭が悪いという意味ではないことに注目だね。そうではなくて国力を上げる戦士として失格ということなんだよ。

従順さ

そうやって、何が正しいか間違っているかを教え込まれたが故に今の社会がある。そうしてできた世界があなたの目の前で繰り広げられているんだ。もしその世界があまりにもひどいなら逃げ出そう。なぜならそれはあなたが受けてきたこれまでの教育によって生み出されているからだよ。そこに気がついてね。言うこと聞かない子には罰がある。素直に言うこと聞く子にはご褒美がある。ただそれだけを試されてきたんだよ。あなたの世界のすべてはこれでできているんだよ。忍耐力や精神力なんかも、枠組みは同じ。我慢するのは我慢しろという命令でそうなっている。命令に反くのは違反だね。忍耐力があると褒めてくれる。根性があると褒められたい。その思考はどこから来ているのかよく考えてみてね。そうしてぼろぼろになっていくぐらいなら、堪え性のない根性なしになって逃げ出せばいいよ。大切なことだから何度でも言うけれど、逃げ出すのは良くないというコマンドを学校で実行されただけ。今はそれが暴走している状態だから、ポチッと再起動ってわけだよ。ただそれだけのことだね。

競争社会

点数が1点でも高ければ勝ち、低ければ負け。そんな世界にどっぷりと浸かると、そのままそのコマンドが社会に出ても実行される。現にそうだね。すべてが点数化、数値化、見える化されて管理され競争させられている。そこから降りたらいいだけなんだけど、降りたら悔しいなんて思っているのも指示通り。競争させてどれが一番か、それもまた選別ってわけだね。従順さと性能を選別しているのが現代社会。そう捉えるとシンプルな構造だと気がつくね。その原則がわかっていれば、時にはあえて競争に巻き込まれて戦うのも良し、ちょっと疲れたから休んでも良しとなるわけだね。もちろん、みんなにバレると困るから戦いから逃げるのは極悪なことだと刷り込まれている。でもそれが刷り込まれていることでしかないと気がつけば、気がついていないふりをしながらお茶でも飲めるようになる。それが真の教育ってやつだね。