流行らない

日々

流行性感冒

なんでも流行り廃りがあって、栄枯盛衰というか、悪く言えば使い捨てられていったモノやサービスはたくさんあるね。その当時を振り返ってみて、そういえばそれがどうしても欲しくて無理して手に入れた記憶を思い出してみても、今となってはなぜそれがそんなに欲しかったのかという気持ちだけは思い出せないね。すべてがそうだと言うと語弊があるかもしれないけれど、流行りものに飛びついている時は、全く心は空っぽな状態だということがほとんどじゃないかな。要するに無条件反射しているだけなので、事が終わった後に振り返ってみても、なぜそれに熱中したのかの理由をうまく話せないってわけだね。だから「そういう時代だった」としか言えないことが多いと思うけれど、そうじゃない?

イケてる

流行に乗っかることがイケてると思うのはどうしてだろう。それは人と同じという安心感がそこにあるね。人は群れで生きることで今まで何とか生き残ってきたという本能があるから、みんなの行動をいつも気にする習性がまだ残っている。だから、これが今度流行ると思えば人と同じ行動を率先してしようとする。そのことで生き残る確率が上がったんだね。でも、その当時の人類はバンドという少数の群れを作って移動しながら生きていたわけで、現代とは数が違いすぎるね。大ブームを起こすといってもせいぜいその群れの中だけだから二、三十ぐらいだった。現代ではもはや世界中でブームが仕掛けられているね。だからもうその世界は今の流行言葉でいうと「密」なんだよね。競争も激しく大渋滞でこんな豊かでモノが溢れる世界なのに、レアな流行りモノだけは慢性的な品不足となる。

仕掛け人

そうやってわざと仕掛ける人をマーケターとかいって職業になっているね。何でもないところからブームを生み出す魔術師みたいなものだね。そうやって毎年ウェーブを起こしているらしい。流行に疎くなって、今や老害という言葉が指し示すように、流れやブームに乗り切れないのはもはや社会の潮流にとって害悪のようだね。老害なんて言葉を生み出したのはさぞかしおぞましい世界に生きていた人なんだろうね。イノベーターやアーリーアダプターとか名付けてそのものが理論化されている現代だからこそ、流れに乗らないという選択肢も際立ってくるね。あえて皆と違うことをすると、そこはもうガラガラで快適な世界かもしれないね。熱狂的に皆と同じに無条件反射することを忠告しているのが昨今のウィルス騒ぎのような気もするけど、それは気のせいかな。