バツになる勇気
答えは一つだけ
なんでも教わらないと分からないと思い込んでいる人がいるね。どこかに唯一の答えがあるだろうとそればっかり探し回っている。探せば探すほどいろんな答えが出てきて困っているね。学校の先生はいつも答えを知っていて、それ以外の答えはバツになる。だから答えがいくらでもあるのは困惑している。幼い頃から学校で習ったことと違うのはすべてバツなんじゃないかと思っているからね。だからほとんどの人がそういう答えは一つでないといけない主義の被害者でもあるね。それが行き過ぎると教えてくれない人は悪い人だって思うね。もちろん、教える側にも問題がある。今や学校は画一的な教え方をして、それでわかったら良い子、分からなかったらダメな子と選別しているに過ぎないからね。それはもはや教育ではない。
分からないのは可能性
まずは人に聞いてみる。やって見せてもらう。分からないことは可能性の塊なんだから恥ずかしいことではないよ。分からないことがダメなことっていうのも、先に説明した通り、学校で選別された経験からそう思っているだけだね。聞いてみてやってみてそれで上手くいかないのなら、学校のテストじゃないんだから上手くいきそうな人を見てやり方を盗んでしまおう。それでもまだ分からなかったら、大騒ぎして一挙手一投足真似をするといいね。そうやって手取り足取り教わろう。学ぶとは真似るというところから来ているんだからね。
答えはあなた
答えは一つしかなくて、それを教わった通りに答えられたら合格なんていうのはもう辞めよう。答えは無数にある中であなたがそれを決めるんだよ。分からないことは宝物だから大切に育てていけば良い。教えてもらってもわからない時に誤魔化すのは、せっかく教えてくれた人に悪いからと思ってしまうからだね。どうしてそう思って遠慮してしまうのかというと、学校の選別のせいだね。先生にバツをつけてはいけないという仕組みを植え付けられているからだよ。教えてくれてもわからないときは、はっきりとわからないと言える力を本当は学校で学ぶはずだったんだよね。でもそれを教えてしまうと先生が面倒になるから悪いことになっているんだよ。カッコ悪いのは分からないことをわかったふりをすることなんだよ。答えはきっとどこかに一つだけあるはずなんていうのは、もう終わりにしようね。