それが楽しみなの
嗜好品
何気なく暮らしているつもりでも、これがないとなんだか物足りないというものが一つや二つあるんじゃないかな。目覚めのコーヒーや紅茶、緑茶でもいいね。そして朝食はパンかシリアルかご飯とお味噌汁かな。今はスムージーなんてのもあるかな。お昼はしっかり食べるのか食べないのか。夜はやっぱり晩酌が楽しみなのかな。少しのアルコールはリラックスできるね。でもそれらは、初めからあなたのそばにあったものではないね。すべて、それがあたかも生活の見本のように思っているけれど、すべては後から教育や広告などで見かけたものばかり。それが暮らしであり、一般庶民の生活だと刷り込まれた一部に過ぎない。それが小さな幸せだと思っているのはまんまとはめられた罠でもあるんだよ。
眺めている
それをそういうものだと知っていて、社会的な側面からそれを楽しんでいるのは何も問題ない。でも度が過ぎると途端に破綻してしまうね。それはもはや楽しみではないね。特に適度なアルコールは体にいいとか言われている。本当かどうかは置いておいて、それで少しリラックスできるならいいかもね。それは同じようにタバコでもいえるよ。なんだか最近はタバコだけが悪者にされているけれど実際に人を殺めてしまうのはアルコールだよ。飲酒運転、酔った勢いで命を奪うのは圧倒的にお酒だね。アメリカでは一時禁酒法なんかもあったけれど、それがどれだけ無駄だったのかを聞くとやっぱり人は一度夢中になってしまって中毒になると、もはやどうしようもなくなるんだろうね。楽しみが憎しみに変わらないように不即不離で眺めているのが一番大切なんだけど、それをぶっ壊すほどの魅力がそこにはあるんだろうね。
辞めない
小さな幸せを楽しむことが豊かな心を生み出すのなら、それをやめる必要なんてどこにもないね。誰かが何かを言ってきたとしても、ほっとけ俺の人生だ、と聞き流せばいいだけだよ。でもちょっと行き過ぎているなと思ったら、それはあなたの問題だからあなたがそれと向き合えばいいだけだね。それも急にやめようとしてイライラしている人もいるようだけど、やめようとしてやめられないのは知っているはずだね。やめようとするのはそれが大好きだと高らかに宣言しているようなものなんだから、やり方がそもそも難しい方に舵を切っている。そうではなくて、そんな暮らしになっていることを知るだけでいい。それで小さな幸せを感じていると思っているんだけど、本当にそれがなければ小さな幸せを感じられないのかどうかを、ほかのことで試していくのがいいね。やめるとかやめないとか絶つとかよりもね。ただ、もはやあなたではなくってしまうくらい重大な禁断症状など耐えられないのなら、もはやあなただけの問題ではなくなっているので周りの力が必要だね。