面白がるために嫌がる

日々

やるなら楽しく

何でも、どうせやるなら面白がってやるのがいいね。イヤイヤやっているとろくなことがない。それらの多くの経験があるんじゃないかな。やる前の、えーっと思うのはその瞬間だけにして、あとはいかに面白おかしくやれるかということだけに注力すればいいね。そしてノソノソと動き始めてしまえさえすれば、あとは慣性の法則のように等速運動に入り、それを心から楽しんでいうちにあっという間に解決しているからね。やりはじめた後の一連のそれには例外はないんだよ。行動すれば解決したように見えるけれど、実は反対で、行動がすべての関係性を変えたというわけだ。

やりたくない思い

そうは言ってもどうしても気が乗らない時はあるね。そんな時は無理をしないこと。イヤイヤやっても悲惨な結末になるだけなことは知っているんだから、やらない方がまだマシだね。でも、現代社会では期限があったりするから、切羽詰まってようやく重い腰を上げて取り掛かることが多いかな。もちろん、まだ楽しめてはいないね。でも、一旦取り掛かったらもう恨みっこなしだね。渋々自らの行動を受け入れることが大切。それから後はそんな状況になっている自分を側から見て、どれだけ面白おかしく笑えるかに全集中すればオッケーだね。あ、呼吸ってのも大切だから意識して深呼吸するのもありだね。呼吸の乱れは心の乱れだから。

動き出せばわかる

これまでの経験上、やってみれば大抵のことは大したことはないということは知っているのではないかな。何だ、これっぽっちのことに思い悩んで自作自演のイヤイヤ病にかかっていたのかと気づくよ。その瞬間が絶好のチャンスだね。そんな自分をどれだけ笑い飛ばせるか。しかめっ面して、嘘、大袈裟、紛らわしい演技をしている場合じゃないね。あなたをあれほど縛り付けていたのは、あなたのエゴという思考だね。あなたは自ら進んで自らを縛り付けて脱出ゲームを楽しんでいたわけだ。お笑い種だね。それもまたいとをかし。あはは。