自助

日々

誰の世話にもならん

人から何かをやってもらうことが苦手な人がいるね。なんとなくやってもらったりすると、どこか弱みを握られてしまうんじゃないかと勝手に思い込んでいる。手を差し伸べてくれた人も実はそんな下心があって近寄ってきているように見える。その根底にあるのはずばり「損得」だね。ご馳走してもらったら、借りができると感じるから、他人の力は借りないで、無借金経営でもするかの如く自助を貫くというわけだね。または、人に迷惑をかけずに生きることが尊くかっこいいとどこかで刷り込まれたのかもしれないね。

貸し借り

何かをしてもらったり、助けてもらったりすることがご恩で、そのお返しに奉公するなんて制度が昔あったらしい。封建制度ってやつだね。その名残が今も強く残っているのかもしれないね。誰かに何かをしてもらった以上、何かで奉仕してその借りをお返しすることが礼儀であり、人の道である。だからその道を貫くことが人生の価値そのものであるから、逆に借りる側ではなく、与える側になりたいと願っている。その思いが強くなればなるほど、人の助けは借りないということに固執してしまう。人の好意を疎ましくさえ思ってしまうね。恩着せがましいなんていう言葉もあるようにね。

一番嫌なやつ

人の好意に甘えてはいけないと思っているし、誰の助けも借りずに一人で成功することが素晴らしいと思っている。その想いを紐解いてみると、根底には「迷惑をかけたくない」ということ。ならどうして「迷惑」は悪いことかというと、他人の人生を台無しにするからだね。確かにそれはそうだけど「迷惑」だと思っているのは誰かが重要だね。手を差し伸べてくれる人は「好意」からであれば微塵にも「迷惑」だなんて思っていないだろう。それを「損得の下心」に変換して色眼鏡で見ているはあなただね。ということは、あなたが一番「損得」に敏感だということ。意地汚く金に細かくけちん坊という、あなたが一番遠ざけたいと思う人にあなたはなっているんだよ。