適当が最高

日々

取るに足りない

無意識にやっている取るに足りないことをする暇があったら、時間は有限だから効率化のためにそういう雑事を一切省くことがいいとされているね。現代ではタイムイズマネーどころかタイムイズライフになって余計にその勢いは強くなっている。掃除や洗濯、メールを読むなんてことも含まれているね。もはやメールはすでにオールドメディアになっている。重要なことはタイムラインですぐに飛んでくる時代。速報性はメッセンジャーの方が便利だね。メールは相手が読むかどうかなんてわからない非同期なメディアだし、もしかしたら読まれもせずにゴミ箱行きになっているかもしれないね。とにかく一昔前は5分10分単位での効率化が今では、1分1秒以下の無駄も削ぎ落とそうとして躍起になっている。その単位で見れば、日常の家事なんてすべて非生産的で無駄の塊だね。

贅沢な時間

だからこそ、なんて事のない掃除や洗濯を丁寧にすることに意味があるね。究極の効率化を求められている時代にとって、ただチリを掃いて、拭き掃除をして、最後は乾拭きなんてしてピカピカにできる時間なんてとても贅沢な時間となる。もうそれは特別に許された至高のひとときだね。それほど効率化など気にもしない時代から、掃除や洗濯などの家事を丁寧にすることが大切なこととされてきた。忙しくなった現代こそ、その先人の知恵はさらに際立ってくるような気がするね。せっかくの時間なんだから、適当に済ませようとするのではなくて、細部まで見て丁寧に行い、時間を少し忘れてみる機会にするといいね。忙しいから普段の食事も何を食べているのかもわからないぐらい早く済ませて、点数にならないことはさっさと適当に済ませる癖がついていることに気づける瞬間は、そんな何の成果も評価もない雑事の時間だね。無駄な時間と呼ばれるそれは、考えてみれば最高の贅沢時間になっている。

目の前の些事

優先順位はビジネスではとても重視されているね。それはそうなんだけれど、そうして取捨選択して十分に効率化しているはずなのに上手くいかないのはどうしてだろうね。目の前の些事もろくにできないのに、さらに大きなことを成し遂げることができるなんてどう考えても飛躍しすぎだと思うんだけれど、そんなことないのかな。取るに足りないことを短時間で、しかも丁寧にできる力もないのに、さらに複雑なプロジェクトをうまく成功させる力があるとはなんともおかしな世の中だね。仕事が好きで真剣にやっているのはわかるけれど、その能力は仕事を成し遂げる特殊能力のように感じている。それさえあれば生産性の高い時間配分でより成果が大きくなるのかな。丁寧にお茶を入れて、仲間を労うような時間も取れないような人に、周りの力をフルに引き出す力は備わっているのかな。一所懸命がいいことだと思いすぎているけれど、実は適当にするのが一番効率がいいね。力を抜くということの大切さはどんな道も説いている。そしてこれこそ一番難しいとされているね。頑張りすぎず適当にできる人が、効率化を達成し成功するのは今も昔も同じみたいね。