見てるだけ

日々

傍観者

あなたはずっとあらゆる事の成り行きをただ見ているだけ。見上げた空には雲が少しだけ見える。そしていつもの街並みを抜けて立ち寄ったカフェに座り手元の熱いコーヒーが入ったカップを見ている。街ゆく人は足早に目の前を通り過ぎていく。交差点では大人と子どもが横に並んで信号待ちをしている。子どもは口を曲げた顔で母親を見上げている。信号が赤から青に変わった。二人は横断歩道を小さな歩幅で渡り始める。あなたは口元を見た。コーヒーカップを唇から離してソーサーにおく。そんなふうにすべてのことをただ見ているだけだった。ガシャーン、後ろで突然大きな音が聞こえた。

名探偵登場

びっくりしてあなたは思わず後ろを振り返って見た。割れたコップの破片が床に散乱していた。謝る店員さんを見ている。ただ見ていただけのあなたは、そこで大きな問いの答えを探し始める。不意の大きな音の原因は何かという問いだね。ああ、カフェの席からコップを下げようとした店員さんがトレーから落としてしまったのだなと。そう答えを作って納得している。あなたはコップがどう落ちたかというところは見ていない。だけど、大きな音はコップのせいであると結論付けて、その音の正体を特定してしまった。特にどうってことのない日常に、見てもいないのにあなたが風景を生み出した瞬間だね。これを思考といい、思考は現実をこんなふうに書き換えるほどのパワーを秘めている。

真実は闇の中

あなたはずっと見ているだけ。見ていないものはそこにない。でも実は常に見えているものから、見ていないことを生み出している。思考がその断片をつなぎ合わせているんだね。見てもないことをさも見ていたかのようにストーリーを瞬時に作り出して名映画監督のように繋ぎ合わせているんだよ。あなたは見えているものしか見ていない。右を見ているときに左の景色は存在しない。先のカップの音は後ろから聞こえた。前をむいていたあなたには後ろの世界はまだ生まれていない。まだ見ていないのにあると思っている。すべてを見ることはできないのに、あなたはすべてが見えているね。それはそういう仕掛けなんだよ。