夢うつつ
ここにない
静かに目を閉じると、当然何も見えない。でも、それは正確ではないね。確かに真っ暗にはなるけれど、それは目に入る光が遮断されただけだね。光を遮断すれば何も見えなくなるはずなんだけど、いつも何かが見えているね。それは昨夜のことだったり、今朝の慌ただしさだったり、さっきまでとても苦労した仕事のことだったり。そういう意味では目を閉じても何も見えないなんてことは全くない。ひとときも休まずあなたは何かをずっと見ている。その見ているものは一体なんだろうね。
いつもない
ずっと走馬灯のように、時間を超えてさまざまな記憶や体験らしきものが流れているね。楽しかった思い出や悔しかった出来事、とても怖かったことなんかもあったりする。でも、不思議なのはそれらを組み替えてしまってどれが実際あったことなのか、それは思い違いなのか、あるいは全くありえない作り事なのかもどんどんわからなくなってくるね。さらに不可解なことにそのぼんやり浮かぶ記憶の映像は、あなたがそこにいる。あなたにはあなたは見えないはずなんだけれど、きちんと中心にあなたの姿全体が見える。まるで映画のシーンのようにね。いつもはずっとあなたは見えない。手や足の一部しか見えない。顔など直接見たこともない。いつもいないのがあなたそのものの姿なのにね。
そこにいる
目を閉じて映像を浮かべるとき、そこにあなたはいろんな角度で動き回っている。あなたを別のあなたが見ているかのようにね。現実と幻想の区別は、目を開けてあなたはあなたの一部と思わしき手足がいつも見切れている映像が現実であり、目を閉じてあなたの全身を画面いっぽいに思い浮かべる映像が幻想となるわけだ。とにかくあなたの全貌が見えたらそれは嘘ということになるね。そこにいるのはあなたなんだけど、見えたら幻想だなんて何かの間違いじゃないと思わされるね。ところでそうやって夢と現実を行ったり来たりしているのを見ているのは一体誰なんだろうね。