見ざる
翻訳ロボ
最近ではAIによる翻訳精度がかなり上がってきて、特に英語と日本語なんかは随分と進んでいるように見えるね。でもまだまだ不十分なのは、山口に山口くんと行った、などという文脈によって変えなければどっちかどっちかわからない場合だね。これは現状のAIではまだできない。いずれできるようになったときは、ロボットも感情を持つようになるのか、という例のトピックとして注目されている時代に突入するというわけだね。文脈や感情や忖度ができるようになったら、もはやそれはロボットではなく人間として考えた方がいいね。なぜなら翻訳機も空気を読んで実際の酷い言葉をやわらかく言い換えたりできるようになるんだからね。
しっかりと見る
科学的思考といえば、実験して事実の観測結果をもとに推論を立てて検証していくということだね。検証はあくまでも実験結果や再現可能な事実をもとに行われる。だから科学至上主義な考えが選択されやすくなる。だって目の前で再現できて、それを応用したら便利なものが出来上がるってわけだから、それに反対する理由が見つからなかったからね。少なくともちょっと前まではね。ところが、便利になるあまりに弊害も生まれてきたと皆が思い出してきている。それがSDGsとか持続可能な社会とかで、炭素排出をゼロにするために電気自動車に転換するとか世界が言い出している。それがいいか悪いかはさておき、そういう流れであることは確かだね。そして、それに沿っていかないと、実は環境問題よりも経済的に立ち行かなくなることが一番大きい。ガソリンで動く車はもうどこにも売れなくなるというわけだね。
見えるけど見ないふり
見たことをどう捉えるか、という点では先の翻訳の問題と同じだね。ガソリンを燃やして運動エネルギーを得る機械の効率はかなり進化したけれど、燃料を燃やすと二酸化炭素が発生する。炭素を燃やせばそうなると科学的には言われている。それが地球環境とどんな影響があるかどうかは本当のところわかってない。だから電池で走る車にすれば排気ガスはなくなるからそれでいいじゃん、ってわけだね。簡単な疑問を捨てているわけだよ。さらにそれは誰もが気がついているけれど誰も言い出せない。電気を発電するのにどれほどの環境負荷がかかっているかってこと。これは言ってはいけない大人な事情だね。電気でクリーンな街並みを目指す。裏では猛烈に環境破壊しながら発電機が唸っている。再生可能なエネルギーとして太陽光とか風力とか水力が上げられているけれど、それらは全部嘘だと知っている。それぞれはおそろしく環境を破壊している。そう、見えなければそれでいいんだよ。見たことをどう捉えるかという翻訳の問題を回避するには、隠してしまえばいいってことだね。