残りはいくつ?
数値化
現代では効率化、合理化という風潮なので、なんとなく感じていることや思っていることを数値にして見える化するようになっている。特にAIなんてその最たるものだね。今やネットで世界が繋がっている時代なので、例えば同じ英語を母国語としている国でも、アクセントや発音が少しずつ違う。それを全部集めて傾向と特徴を分析することで、いろんなアクセントでも発音でも聞き取れるようになっている。日本語なんて曖昧で、語順も比較的自由だし、さらに方言は酷くてアクセントどころじゃないぐらいに違っているね。今の技術でどこまで方言を聞き取れるのかは知らないけれど、いずれは方言の違う地域同士がすべて標準化されてしまうかもしれないね。要するに、言葉を数値にするとコンピュータは計算できるので処理が可能になるってことだね。だからなんでも数値にできればあとは膨大なデータを処理して傾向と特徴を抽出するということの繰り返しによって、今はとても便利な世の中になりつつある。
比べられる数
テストで合格、不合格を決めるのも、成績をつけるのも、人事査定も営業成績もすべて数値だね。数にして評価されることが人生のほとんどを占めている。小さい頃から数字で人生が決まると植え付けられているから、数字を高くすることに全力を注ぐことを良いことだと思っている。でも数字の多さを争うことは、友達や仲間を蹴落とすということでもあるね。友達と同じ数値だと喜びを分かち合うことにはならず、なんで同じなんだと思い始めるところが競争社会の肝だね。そうして数を数える人生の出来上がりだね。人を判断する履歴書は、今目の前の人をみるのではなくて、何年何月にどこそこの学校を卒業してすぐになんとかという会社に何年勤めたという、データになっているね。
数えられる命
成功の数は数値にできるけれど、幸せの度合いは数値にできにくいね。それは幸せって実態があるようでないから、基準が定まらないからだね。最近はコロナ禍でニュースは連日何を伝えているかというと、陽性反応の数と重症の数だね。あと何日でオリンピックで、あと何日でワクチンが届くのか。すべては数でできている。それを見ているあなたはあと何日ぐらいでこの騒ぎが収まるのか、そのときは何歳になっているのか、そんなことを思ってカウントダウンしているね。知らず知らずに残りの寿命も数えて生きる人生になっている。だから年齢を気にするね。残りの寿命がすくなくなったら何もかも遅すぎたと思って、何も手につかない。だとしたら数えない人生を生きた方がいいね。成功は数えられても幸せは数えられないんだから。