暇
お金と名誉
あなたが一生をかけて拾い集めているのは、お金とか名誉とかという名前の宝石かな?その宝石を拾うために多少の危険と苦労も厭わず、果敢に挑戦している。挑戦や冒険それ自体はなんら問題はないね。ところが、その宝石は残念なことにほとんどが偽物なんだよね。宝石だと思って大切にしていたとしても、実はガラス玉なんだよ。そのガラス玉を本物として見ていることはそのままでいいよ。でも、偽物なんだからずっと持ち続けても仕方がないもの。そこそこで捨ててしまう勇気が必要だね。
お金と幸せ
多くの人は働かないと食べていけないね。財産さえあれば無理に働かなくても食べていける。食べるというのは生命を繋ぐために必要なので、生きることと同義となる。その生きるために労働をしている。つまり働かなければ食べられないわけなんだけれど、食べるために生きているわけではないね。働くとはそれだけの役割しか本来はないけれど、だんだん過大評価されている気がするね。さらに働くことがお金を稼ぐことと同義になって、お金がたくさんあれば働かなくて良いという先の論理になり、だからお金は幸せと結びついてしまっている。お金さえあればもっと幸せになれると信じているけれど、実はそうではないことはもはや多くの例を挙げなくてもいいね。
幸せと贅沢
お金がたくさんあれば贅沢な暮らしができるね。贅沢な暮らしは幸せだと信じているから、お金はたくさん必要と考えている。必要以上なことを贅沢というならば、お金をたくさん使って必要のないことばかりをやっている。これが最上級の贅沢となるけれど、お金の量で決まるものではないことは薄々感じているね。世の中にはお金というモノサシで測れない贅沢があることを知っているからね。贅沢はあくまでその人のものだから、他人からみてそれが同じように感じることはない。だけど、本当の贅沢は何もしないこと。食べるために働かなくてよく、働いてお金をたくさん得ることもしなくてもよく、生きるために犠牲になることが何もないことが最高の贅沢と言えるね。要するに暇で暇で仕方がないこと。これが最高の贅沢であり幸せだということになるんだよ。