ノーリスク ノーライフ

日々

ゼロリスク

最近は特にリスクを恐れる傾向が強くなっているように見えるね。リスクがあることは徹底的に避ける思考というか、なんとなく怖いから嫌だと特に論理的な何かでもなく怖がっている。若い頃は誰の忠告も聞かずに、ただやってみたくてうずうずしていたのに、なぜか分別がある大人になると「何かあったらどうするんだ」ということばかり言うようになる。何かあるから人生なのにね。それもわかっているからこそ、あえてそう言っている。リスクはゼロになるはずもない。道歩いていたら隕石が落ちてくるかもしれないと言い出せば、一歩も外に出歩くこともままならない。それに家にいても隕石が落ちてきたら同じ結果になると思うけれどね。

走れば転ぶ

幼い頃は無闇に走り回っては、なんかの拍子にこけて擦り傷ぐらいは絶えなかったね。その時は痛くて泣いたりするんだけど、だからと言ってもう懲り懲りだと走り回るのをやめたりはしなかった。動物は野山を駆け回って暮らしている。その中でちょっとした擦り傷や切り傷はおそらく日常茶飯事であり、全く傷一つない体でいられる日はそれほど多くないね。現代の人間だって社会を走り回っていたら、体に傷はつかないけれど、心はいつも傷だらけになっているんじゃないかな。そうやって転んで傷つくことで次のエネルギーが生まれる。リスクばっかり恐れて洞窟から一歩も出ないで暮らすことほど、不自然な生き方になってしまうね。

情熱のリスク

そもそもリスク計算なんて他の動物はしない。それができるから人間は生き延びてきたのは事実かもしれない。でも、それをやらなくてもたくさんの動物が今ともに生き残っているね。計算の弱点は間違うリスクを抱えているということ。あら、ここにもリスクが見つかったね。リスクなんてどこにでもあるもの。生きることそのものがリスクであるわけで、ゼロリスクということは静止するしかないね。ということはあなた自体を消滅させるしかないという変な計算結果に行き着いてしまう。だからリスクなんて言う概念は捨ててしまったほうがいいね。リスクがあることが生きることそのものなんだからね。