損した
損得勘定
いつも損得で物事を考えているけれど、あなたはそれに気が付かない。相手のことを思ってとか、あなたのためにとかいろんな理屈をこねているけれど、結局は損か得かでしかないね。相手の立場にたって優しく手を差し伸べるその理由はあなたが周りから良い人に見られたいから。誰も見ていないところで態度が急変するのも結局はそういうことだね。人前で緊張したりあなた自身を謙遜したりするのもすべてはあなたを見ている誰かのための計算でしかない。誰かの助けを求める声が聞こえるのも聞こえないふりをするのも、そのときのあなたの余裕があるかどうかにかかっている。聞こえるけれど聞こえないふりができるのはそういうことだね。
原因はあなた
そうやったすべてのつけはあなたに跳ね返ってくる。ああ、なんて惨めな人生だと悲観するのは、あなたが損得で見えないふり、聞こえないふりをし続けてきた結果だね。いや、そんなことはないとあなたは思う。だってあいつだって損得しか考えてない。あなただけが聖人君子になったところですべて吸い込まれてつけいられるだけだとね。で、結局すべてを剥ぎ取られて大変だったわけではないね。そう思っているだけなんだよ。それがあなた。あなたはそうやって損得勘定を嫌いつつも、一番気にしているというわけだね。だからすべてのことに損得というフィルターがかかって見える。だからそこから覗くすべてのことは損得しかない世界がいつも広がっているね。
損の本質
損すると恐れているそれは一体なんだろうね。お金が減ることとか、財産を奪われることとか、地位がなくなることなのかな。お金とか財産とか地位とかは本当にそこにあるのかね。それがあったところで一体何になるのかね。それらのために今まで数々の苦渋を乗り越えてきたあなたは、そこにしがみつくのは仕方がないね。でもその見えないなにかをずっと抱えていればいるほど、どんどんあなたは不幸になっていくのはなぜだろう。せっかく手にした栄光なのにね。世界の七不思議の一つかもしれない。損得にこだわって生きるのは、それこそ損し続けているのではないかな。