天までとどけ
宛先
あなたがしていることを説明するときに、宛先があるかどうかでその中身がぐっと変わってくるね。研究開発をやっています。営業をやっています。もっと大きな話ではサラリーマンをやっています。とあなたは自分のできることを表している。ところが、同じことをしていても、子供たちが安全に楽しめるような乗り物をつくるための研究をしています。世の中をより便利にするためのサービスを広めるために営業をしています。家族の生活のためにサラリーマンをやっています。と言い換えるとやっていることの列挙から宛先のある仕事へ変わる。同じことのようだけれどあなたのやっていることには常に宛先があるはずだね。もしくは宛先をいつも意識しているかどうかで大きく差がつくね。
レンガ職人
よく例えられる3人のレンガ職人の話でもそうだね。今やっていることをどう捉えているかで奥行きが変わったりする。レンガを積むという苦役だと思ってやっているか、辛い仕事だけれど家族を養うためにやっているのか、それとも100年先の立派な聖堂を夢見てやっているのかで何が違うのか。それは、レンガを積むという作業の奥行きがぐっと深まるね。そこで宛先が見えているかどうか、なんのためにこのレンガを積んでいるのかというストーリーを共有することで、単純作業が宛先のある一歩に変わるんだよ。その方が楽しいし幸せに同じことができると同時に、持っている能力を十分に引き出す可能性を高めることができるね。とにかくこれをやれ、と命令されてやるというやり方はどれだけ可能性を塞いでいるかということを表しているわけだね。
上位下達
トップダウンに物事を上から下へ指示命令を伝えるやり方では、もはや個々の能力を引き出すことはできない。それが効率の良い時代もかつてはあったね。急速に産業化し工場で働く従業員を大量に育成しなければならなかった。だから明治政府は現代の一斉授業で教育を構築したんだね。それから100年が経ち社会は大きく転換した。もはやその講義形式で金太郎飴な人材を育成しても変化に柔軟に対応できる能力は身につかないね。だからこそ宛先のあるストーリーを共有することが、それぞれの能力を最大限に引き出せる唯一の方策となる。あなたのやっていることは誰に届くのかを考えてみると、ぐっと世界が変わるはずだよ。