一杯目の至福

日々

一杯目のビール

お酒が好きな人は、仕事終わりに一杯のビールを飲む瞬間が至福の時なんだってね。そのアルコールが1日の終わりを区切っているのかもしれない。それとも、仕事とプライベートの区切りになっているのかな。お酒を飲まない人でも何かしら好きなものを食べたり飲んだりしているだろうね。もしくは、運動して汗をかいたり、風呂に入ったりしてその後の牛乳が最高なのかもしれない。とにかくうまく渇望をコントロールした楽しみ方なのかな。満たされるためには足りない状態を意図的に作っておく必要があるし、至福な時を感じるためには、徹底的に不遇な時間を演出しておかないといけないからね。

二杯目のビール

汗をかいたり渇望したりして一杯目のビールが最高だったとして、二杯目はどんな扱いになるのだろうね。一杯目の感動は少し薄れているはずなのに、なぜ二杯目を飲むのか。それでも二杯目ぐらいで満足するならいい楽しみ方のうちに入るかもしれないね。ついつい気がついたら酔っ払うまでたくさん飲んでしまう人が多いんじゃないかな。飲みすぎたり食べすぎたり、なんでも行きすぎてしまうのはさらにもっともっとと欲望が湧いてくるからだね。体はもう欲してないのにあとは気持ちだけが暴走している状態になる。それこそ体のことなんて全く無視しているからこそ、欲望で自らの健康を破壊してさえも止まらないね。

欲望と制限

我慢は体に良くないと言って、欲しいがままに食べたり飲んだりするとなぜか体を壊してしまうね。体が欲しているからそうしているのかと思いきや、実はそこはリンクしていないことに気づくね。やがてそれは中毒になってもはや自らの意思ではどうにもならなくなってしまう。もはやあなたはあなたではなくなって何かに乗っ取られたようなものだね。肉体的な欲求だと勘違いしてしまうけれど、肉体は悲鳴をあげている。なのにそんなあなたは至福のひとときをそこに感じているだなんて、まるで悲劇のシナリオだね。あらゆる欲望は自然なことのフリをしてあなたにそっと近づいているけれど、欲望は、不足している状況がないと成立しない。充足していると存在できないはずなのに、なぜか体の声が聞こえない。そこんところ十分気をつけてね。