いつかきっと
幸せのカタチ
いつか叶う夢のように、幸せもいつか叶うものとして捉えていることが多いね。でもそれが不幸の始まりなんだよ。いつかきっとと未来に夢をはせるのはいいことなんだけれど、幸せは結果ではないね。原因と結果のように因果関係が成立したら達成するような考えはおそらくビジネス上のロジカル・シンキングから生まれたのだろう。けれど、A→B、B→Cというように積み上がっていくものではないことは明白だね。そして夢へのステップを今ここで駆け上がっているのと幸せを分離して考えるのは、論理的に考えるとしてもなんの因果関係も相関関係もない。
所有と愛
これまでは地位や財産を手に入れることで幸せになれるという共通イメージを共有できた。だからその嘘を信じて頑張ることができたんだよ。社会にレールなんてないのにあたかもあるように見せて、いい大学からいい会社でいい暮らしという流れを信じていた。未だにそれに変わるレールが見つからないから、やや疑問を感じながらも原則そこに従っていようとするバイアスがあるね。そして誰かが気がついてそのレールから逸脱しようとしているのを見て、SNSなんかで徹底的に叩いたりする。他人がどう生きようがどうでも良いことなのに、あえてそこを叩いたりするのは、明らかに支配欲でしかないね。要するに自分が正しいという主張を押し付けているだけでしかない。そして多数決みたくそれに迎合するしかない人が多いようだね。
自分で考える
結局はポジショントークに過ぎないのだけれど、そもそもポジショントークという言葉がすべてを破壊するので論理的整合性が取れている感じがする言葉だけれど、だから何?というところで止まるね。それと同じように「それは個人の感想ですよね?」なんて言葉も流行っているみたいだけれど、これも同じく論理的整合性が一見取れているようで実は「だから何?」に過ぎない。それは結局コミュニケーションの停止という意味としての言葉であり、そこに前向きに相手の意図を汲み取って互いに探り合うというコミュニケーションの原則を破壊しているだけだね。まぁ、自分で考えることができないと幸せを将来に受け取る年金のようにご褒美かなんかでしか捉えられないね。そうではなくてせめて、幸せは今ここにしかないということをまずは知っておこうよ。それだけで今すぐ幸せを感じることができるんだからね。