なんて言ったの?

日々

言葉を話す

あなたはあなたの言葉でできている、とかいう本もあるように、言葉はあなた自身のために、そしてそれをあなた以外に伝えるためにそこにあるね。知らない言葉で考えることはできないし、新しい言葉を得るとそれだけあなたの世界が広がることになる。言葉にできない思いはそこにあるけれど、言葉にできないと言葉にできているから存在することができるんだよ。得も知れない気持ちも言葉で完全に表現できないけれど、得も知れないという言葉でそれをとりあえず表している。そしてその言葉は誰かのためにそこにあるね。この地球にあなた一人であれば果たして言葉を必要とするだろうか。基本的に言葉はそこにいる誰かに何かを伝えるために生まれたとされているね。ということは、いつも言葉が行き交う街中を一人ぼっちで歩いていたとしても、そこで誰かの言葉が聞こえていれば安心できるというわけだね。

言葉の意味

しかも言葉のそれぞれにニュアンスや意味は必ずしも同じとは限らない。それなのに、それがうまく伝わることがあるとはまさに奇跡だね。言葉の粒度というか解像度は決して細やかではなく、どちらかといえばざっくりしたものが多いから、それらざっくりしたくくりの言葉を組み合わせることで、より伝える精度を上げていくということが文を紡ぐという知的作業となるわけだね。言葉の並び方一つで組み上がる世界が全く違うなんて、実際のレゴブロックよりも楽しく無限の可能性を秘めたものはない。しかも、あなたを誰かに説明するときは、おおよそ言葉というツールしかない。もちろん絵や音やその他の表現手法もあるけれど、ほとんどが視覚と聴覚に頼って情報を得ていることが多いね。

未完成な道具

何かを伝えるという視点では、言葉は完成されている道具かといえば、ほとんど未完成で常にプロトタイプだね。だから少し言い方を間違えたり、語順が前後するだけで全く意図しないことになったりする。しかも使いこなすにはかなりの鍛錬が必要な道具でもある。だから言葉だけで伝えきれない場合は、その他の表現を合わせて使っているんだけれど、実はこれは多くの人は気が付かずやっていることが多いね。言葉で表現できないものは存在しない世界にあなたはいるから、言葉にならないと始まらない。だけど、言葉に詰まったあなたを見るだけで多くを語らなくてもすべてが伝わったりするから面白いね。言葉が常に行き交う世界は心地よいけれど、それが一旦すっと静寂になる瞬間もとても雄弁に何かを伝えることができるんだよ。