ときめく毎日

日々

欲望が消えるとき

あなたは切実に思っていることがある。そしてそれがひょんな事から実現するととても至福な瞬間を迎える。そしてその祝福はやがて消えていき、いつもの日常に戻るってわけだね。願いが叶えばその瞬間はとても幸せ。でも、それもずっとは続かないで次のまた願いが生まれる。それの繰り返しの中にしか幸せを見つけられない。だから何でもない日常はつまらないものとなり、スペシャルな時をずっと待ち続ける人生となる。その結果はもう明白だね。ほとんどの人生は願いが叶わず悶々とした時間となるわけだ。それは幸せのしくみを理解していないからそうなるんだよ。

願いが叶う

ほしいと思ったものが手に入るとあなたはとても幸せを感じる。その仕組みを分解してみよう。ほしいと思っているのはいつもの日常が目の前に広がっている。いわばなんでもないつまらない時間だね。そのときあなたは願いがまだ叶っていないので、幸せをそこに感じることはできずにいる状態となる。そして突然ほしいと思っていたものを手にすることができると吉報が入ると、途端になんでもない日常がバラ色に変化するね。ほしいがなくなった瞬間に幸せになっている。願いが叶ってなくなったら幸せになっている。ということは、願いも欲しい物もないときが一番幸せということだね。なんだ、結局は何も欲望がなくなったときがとてもバラ色ということがわかってしまうね。なら願いなんて元からないほうがいいってわけだね。夢や希望も扱いを間違えると苦しみに変わるのはそういう仕掛けというわけだね。

健やかなとき

体調が悪くなると、体調が良いことの素晴らしさがそこで始めてわかるね。健康や体調は失って始めてわかる幸せとも言える。すべての基礎はここにあるね。思ったように食べて飲んで寝て起きて動けることがどれほど奇跡でどれほど幸せなのことか。気がついたときはだいたいは時既に遅しになりがちだから、何をさておいても最優先だということを肝に銘じておこう。仕事や夢のために身を粉にするなんていうことが美徳と教えられているけれど、命あっての幸せであるとすれば、それがいかに愚かであるかということにまずは目覚めないといけないね。体調が良くて、親しい人やときめくモノに囲まれてなんでもない日々を過ごすこと。これが実は最高の幸せなんだということ。それ以上の幸せはないはずなんだけれど、そこでもっともっとと心が騒ぐね。そして願いが生まれると不幸が生まれるというわけ。それをわかってわざとやっていればそれもスパイスとしてはありだね。くれぐれももっともっと中毒にならないように注意しよう。