ぼっち人生
見えるもの
あなたが普段見ているものは、あなた以外のものだね。あなたはあなた以外を目の前の風景として見ている。何をアタリマエのことを言っているんだと思われるかもしれないけれど、あなたはあなた自身を見ることはできないね。あなたと違うものが見えている世界を形どっている。違うからそこにあるとも言えるね。だからあなたは、あなたとあなた以外で世界はできていると思って過ごしている。それ以上のことは想像すらできないし、もちろん異次元があるのかないのかということを考えることもできるけれど、どこまでいってもあるのかないのかをぐるぐる回る無限ループに陥ってしまうだけだね。コンピュータや数学の定義ではエラーっていうやつだね。
世界観
意外と複雑そうに見えるこの世界は、とてもシンプルなものなのかもしれない。シンプルな法則だけ決めてあとはランダムに任せていれば勝手に複雑系のように見える。そういうことを暴き出す数学という学問もあるけれど、古来から先人はこの世の法則を見つけ出して、それを明らかにすることで世界を解明しようと奮闘してきたね。それぞれ見つけた!と思った法則は、外れてはいないけれどあたってもいないという結果になっている。やっぱりこの世の仕組みはそれほどシンプルな法則で動いていないとなんとなく思っているけれど、はてさてそれが解明される日がいつか来るのかな。
自他分離
わたしとわたし以外のあなたという世界がいつも目の前に広がっているね。でもそもそもわたしをどうやって説明するかでもうすぐに躓いてしまうね。わたしは学生です、という論理と文章自体が自己矛盾をはらんでしまっている。それがこの世の仕組みを解明する鍵だと格闘してきた歴史があるけれど、未だにわたしは学生です、という表現以上を使えない。私を説明している私がどこかにいるという実感を解明するために、私は学生ではない、なんて否定で事実と整合させようとしても言葉遊びに近づいて、言葉の限界を超えられないもどかしさがある。二重否定にしてもわかったようなわからないような、先の無限ループでエラーになってしまうね。あなたは(私から見て判断するに)学生です、ならなんのエラーも起こらない。あなたが学生であるかどうかよりも、あなたという存在を生み出すことでエラーを回避しているとも言えるね。ということはあなたはわたしが司っているとも言えるのよ。あなたは本当にあなたなのかどうかはわたしが決めているというわけだとしたらあなたとわたしは本当に分離しているのかも怪しいってわけね。