晴れるかな

日々

雨は憂鬱

晴れていると気分がよくて、雨が降ると心がブルーになるね。一般的に統計を取ってみると、やっぱり雨よりも晴れている方がいいっていう人が多いのかな。中には雨の日の方が静かで落ち着くとか、独特の湿った空気間が心地いいとかあるのかもしれない。あなたはどっちだろう。ただ雨が降っても晴れていても二度とこない一日なので天気ぐらいで台無しにするのはもったいないかもしれない。そもそも天気がいいとか悪いとかという言葉のせいで、それに縛られた社会生活を余儀なくされているだけなんだから、自然にはいいも悪いもない。月がよくて太陽が悪者とか考える人はいない。天気だけがなぜか身近であるからこそ、いい悪いと判断される対象になった不運な現象だね。

自然を前に

休みなるといつも雨とか、楽しみにしていた旅行の当日になると雨が降るとか、それは普段の行いが良いとか悪いとか、とかく人間は何かにつけて因縁をつけることが大好きなようだね。何をどう見るかは自由であっていい悪いも絶対的な基準がないからこそ、法律として文章化したりしているわけだからね。雨も一日中雨であったり時々曇りだったり、少し晴れ間があったりときちんと観察していると様々な表情を見せる。大自然を前にして怒り狂ったとしても、なるようにしかならない。雨に怒りをぶつけたところで何も変わらない。そこから何を学ぶかが大事なんだよね。

八つ当たり

他人を叱責したり、怒ったり指導したり、愛情から叱ったりしても無駄だということだね。その怒りや行動はすべてあなたの欲望のためにやっていることだからまったくもって八つ当たりでしかない。そこに気が付いていない人が、雨に八つ当たりしたりするんだろうね。自然のことに対してどうこう言っても何も変わらないのはあなたが無力とかではなくて、あなたも自然の一部であり自然そのものだからだね。そもそもすべてをコントロールできるといつの間にか思っていることがおかしなことで、いつからあなたは自然を超越したのだろうね。もちろん、あなたは万能の神と等しい存在であるからすべてをコントロールすることはできるけれど、それは自然をどう受け止めるかという部分で完全なる自由があるということだよ。自然そのものを制御するのはあなたが完全に自然から離れた存在になればできる可能性はあるけれどね。今のところその領域にまで到達することは無理そうだね。