論理と共感

日々

溺れそう

いろんな情報が駆け巡る時代、情報が多すぎてアップアップしている人もいるだろうね。コンピュータでもメモリをオーバーフローさせて乗っ取ったりする。溺れそうなときはジタバタすると余計ひどくなるから流れに身を任せたらいいね。とりあえず飛び込んでくる情報量を減らすことができればいいけれど、なかなか普通に暮らしていても処理しきれない情報が否が応でも目に飛び込んでくる。それを情報として見るのをやめて、単なる信号だと思ってやり過ごせるようになればベストだね。見ているようで見ていない感じになると、とにかく溺れそうになるところからは一息つけると思うよ。オーバーフローさせる意図は、決められた処理を間違わせるためかもしれない。それでうっかりしている間に乗っ取ることができるのはヒトも機械も同じかもしれないね。

探求心

大量の情報をできるだけ楽にさばいて必要なものだけを残してあとは捨てられる力が求められているね。その必要なものとは、情報に反応して右往左往するのではなく、自分で一回きちんと論理的思考回路を動かして確かめてみることだね。それができないと、そこに埋もれている真の情報を見つけることはできない。情報をインプットしているだけでは消化不良のまま出ていくだけで、知識の泉は全く増えないね。それが現代ではわざと難しくしている傾向が見える。論理的に処理すべきところを、ごまかそうとするから感情に訴えたりして論理をすっ飛ばしていることを隠している。最後の最後は1億総玉砕とか、あなたの大切な人のためだとか、絆だとかを悪い人は持ち出すね。そうなると探求すること自体が人でなしとか悪になってやりずらくなる。発信する側からすればしめしめうまく行ったというわけだね。

絆は論理を破壊する

論理回路を動かす前に感情を揺さぶることですべての回路が停止する。そういうヒトの脳の性質を熟知した上で悪用しているかどうかのチェックをした方が良い。余計な手間がかかるから面倒だけれど、やってみればシンプルな手品の種明かしのようにそれほど難しくはない。欲しがりません勝つまでは、とか鬼畜米兵とか、玉砕とかそういうことを言い出したら危ないサインだとさすがにわかるね。それになぞらえて、今頑張ってくれているからとか、大切な人のためだとか、未来の子どもたちのためだとか、これらも論理を放棄している。これだけですぐに見破ることができるね。感情的な意見や同情的な意見は論理性を破壊する威力を持っている。そして正しさよりも共感となり、人類の本能でもある「仲間はずれは殺される」という部分を巧みに刺激しているんだよ。国民はいつもほとんど馬鹿であるというのがマスメディアの前提にあることも忘れないようにね。