大嫌い
真っ白
光にあふれて真っ白の世界が目の前に広がっている。そうすると、何もかもの境界線がなくなって明るい世界だけしか見えないね。全部光で溢れてどこを向いても真っ白の世界では、自分がどこを向いているのかわからない。真っ白の世界は眩しいランプなんかをうっかり見つめてしまったりして、それに近い経験があるかな。まさに眩しさに目がくらんだ状態だね。あまりに強い光を眼球に受けてしまうとしばらく残像が残ってまともに見えなくなるね。逆に真っ暗の世界も同じだね。完全な暗闇の中を歩ける神社とかあるけれど、これまたどこを向いているのか、その先に何があるのかさっぱりわからないから、手で触る壁の感触や足の裏の触っている感覚しか頼るものがないね。
境界線
そんな世界では真っ白か暗闇がすべて。視覚ではなんの世界も見えないね。ならいっそ目を閉じてみると不思議なことにそこには世界が広がっている。それはそれまでに見たことがある風景をそこに生み出すことができるってことだね。もし、見たことが一度もなければ脳内での世界は一体どんなものなのだろうね。そこに自分や他人の区別があるのかな。だからこそ、ほんの少しの違いがそこにあれば、あると認識できる理屈がわかるね。なんて日だ、なんて思って過ごせているのも、今日とは違う日を知っているからそう思えるんだよ。見るもの聞くもの触るものを確かめるために、わざわざ違うあなたをそこに出現させているんだね。そうしないと、楽しんだり笑ったり泣いたり怒ったりできないからね。
嫌な人
わかりあえない人がいて、あなたはいつもイライラしている。でもイライラできていることが素晴らしいことだと気がつくかな。今の御時世を憂いでいる。なんてことだとため息をつく。それはかつてそうでなかった世界を十分に知っているからだね。いずれそれが当たり前になってしまったときは、また別の何かと比べているだろうね。別に昔はよかった、前のほうがよかったなどと懐古主義になれと言っているわけではないよ。あなたが認識できるそれらは、なにかと比べることができるからこそ、そこにありありと浮かび上がるっていうこと。嫌な人は嫌でないあなたをそこに出現させているからこそ、とっても嫌いになれるんだ。だから嫌いって素晴らしいことなんだよ。え?そうは思えないって。それまた素晴らしいね。