重さじゃなくて距離
命の重さ
かけがえのない命とか、命の重さとかいうのは人間だけだと思うんだけど、どうかな。命がとても大切と言うルールは、そうしないと農耕生活以降の人間は互いに殺し合いをやめないからそうなったんだろうね。そしてそれは哺乳類である人間の特質のせいもあるね。たくさんのこどもを育てることはできないから、少しのこどもは貴重で特別な存在だと思うのは仕方がないのかもしれない。ましてや今は少子高齢化と言われてこどもが少なくなってきている社会において、ますますこどもは特別な存在になっていくのだろうね。生物の基本として種を生み増やしていく本能としても、少子化を政治的に利用するのは容易いだろう。命はそんなに重いのかどうかという話は、おそらくは繊細でタブーにふれることになるから誰もが避ける傾向にあるね。命は何よりも大切にしなければならないというルールを大前提にして、忌み嫌われる死をしっかりと直視することが、実は今を大切に生きることになると確信しているんだけれど、それもあまり言ってはいけないことなのかな。
健康、安全、環境
健やかな人生を送ることが理想であって、単に生きているというだけではそこの意義は見いだせないね。だから健康とか安全とか環境とかの話を無視することができない。特に健康であるということに関しては、まさに命がけになったりしているね。冗談みたいに言われるのは健康になれるなら命をかけてもいい、なんてのもある意味本来の目的が倒錯している様子を表しているかもしれない。安全も同じことが言える。生きるということは死と隣合わせを意味するのに、死は直視しない。だから少しでもリスクがあると大騒ぎして、ゼロリスクでないと許せないとなる。これまた冗談のように、リスクをなくすために命をかける、なんていう人もいるね。おそらく自らは何を言っているのかわかってないのかもしれない。環境問題も金儲けの匂いしかしない話だね。本当に次の子どもたちのためにかけがえのない地球環境を守らないといけないと、命がけで考えているようには思えないのはどうしてだろうね。
かけがえのないあなた
命も地球もあなたもかけがえのない存在だね。まさにオンリーワンであり、希少性でいうとダイヤモンドや金以上の価値がある。したがってそれを貨幣価値で表すことなんてできないぐらいのものだから、かけがえのない命となるわけだね。そう思っている人間という動物を、飼い猫のミケは冷ややかに見ている。ミケは我が子を産んだけれど、すぐに人間に引き離され、一匹?のんきに暮らしている。我が子がかけがえのない命だとか、安全でないと許せないとか、環境破壊を止めようなんて考えたことすらないね。目の前に美味しそうな獲物があれば、捕まえて食べるし、今は家猫なので捕食される心配もないから、たまに近所の猫のテリトリー争いぐらいのいざこざしかないね。ましてやかけがえのない命なんて神様みたいに考えることすらない。命の重さは距離の問題であって、我が子や親族の生き死にはとても重く感じ、テレビのニュースキャスターが読み上げる死者数にはそれほど驚かない。かけがえのなさとは、まさにそういうことだけなんだよ。命に重さはない。距離の問題だったんだよ。