一年前

日々

思いがけず

ちょうど1年前に、今の自分を想像できただろうか。変わらずのんびり暮らしているのはなんとなく想像できていたけれど、それ以外は思いもよらないことばかりだね。今からまた1年後どんな風に暮らしているのだろうか。ま、先のことは考えても誰にもわからないので深刻にはならないけれど、なんだかわからないからこそ、楽しいのかもしれないね。ただ一つ言えることは心配事は放っておけばいつの間にかなんとかなっているということ。今も心配事を探せばたくさん出てくるけれど、そのときに対応していけばいいだけなんだね。リスクがゼロにならないように、思いがけないことばかりが起こったりするけれど、ただそれをそのまま眺めているだけでいいのだろうね。

やじろべえの冒険

右へ左へゆらりゆらりと揺れながらも、落ちそうで落ちない壁を歩いている。そんな状態を不安定だと思うのか、いやいやとても安定していると思うのか、どちらでも問題ないわけだ。落ちそうで意外に落ちないし、何ならわざとバランスを崩してみてもすぐに元に戻ろうとするとし、こりゃどうしようもないな、と思って諦めた瞬間になんとかなっていたりする。まさにオートマティックだね。変幻自在な世界をいつも感じながら暮らしていると、そもそもの不安事がそれほど多くなかったりもする。ふと過去を振り返ってみても、おそらくはとても不安定で恐れていた事があっただろうけれど、もう思い出せないぐらいになっている。果たしてやじろべえはそこにあったのだろうか。

今を重ねる

とにかく今を大切に過ごすことがとても楽しいことだと気づくね。楽しさは与えられるものでなく、生み出すものでもなく、うまく表現ができないけれど、少し離れて見守ることなんだろうと思うね。どっぷり浸かるのもいいけれど、そのどっぷり使っている状態をちょっとだけ離れて暖かく見守っているような感じ。そういう視点で見られているのが楽しさであり、そのままを見つめていることになるのかな。今を楽しくというと、すぐに享楽的な遊びや刺激を求めているような感じに伝わるかもしれない。けれどそんな刺激的なことはかえって邪魔だね。なんてことのない日々がとても愛おしい日々として少し離れて見ている感じがちょうどいい。今はつかまえられないけれど、流れていく今をちょっと離れて見ている感じというのかな。振り返るでもなく、未来を見ているわけでもなく、っていう感じで過ごしていると、時間の感覚がどんどん消えていくね。時間も自由自在に操れるものなんだね。