遠回りの散歩
夢を見る少年
シンガーソングライターになりたくて、一所懸命にギターを練習したけれど全く上手くはならなかった。ならばギターが下手でも歌が上手ければなんとかなるんじゃないかと思って、心を込めて歌ってみた。けれど、これも今ひとつで目指す歌声には遠く及ばず。はてさてどうしたものかと考えていたら楽器屋でたまたま見つけた。下手な楽器を演奏するのを諦めて、コンピュータで音楽を作ればいいんじゃないかと。そこで当時出始めのDTMの一式を買ってやってみた。なんとなくデモ演奏を再生したらすぐに気がついたね。何かというと根本的な音楽的素養のなさに。そうこうしているうちに、あれだけ夢中になっていた音楽から遠ざかって、今ではヘッドフォンをつけることすら面倒になっている。音楽で耳をふさいで街を歩くより、雑踏の中の自然な音を感じていたいからね。
勘違い
その当時は音楽が好きだと信じていた。今でも好きな方だと思っている。それにアウトドアも好きだった。週末に山でのキャンプも楽しかった。朝起きたときのきれいな空気と土の匂いと川のせせらぎの音。なんとなく前にもここにいたような錯覚に陥る。そのためにわざわざテントや寝袋を背負って喜び勇んで出かけていた。寝る間も惜しむというか、休みの日に寝てるだけ時間や家でボーッとする時間がもったいなくて仕方がなかった。けれど今では、家でボーッとする時間がとても愛おしくて大切な時間になっている。特に気負って大自然に飛び込んでいかなくとも、近所の川沿いの公園で十分自然を感じることができる。どうやら、ようやく遠くに出かけないといけないという呪縛から逃れられたようだね。
たまたまの偶然
それもこれも今思うことは、一旦夢中になってやったからこそ今があること。なりたい自分になれなくていいし、そもそもなりたい自分なんていう言葉に操られて可能性をわざわざ狭めなくてもいいね。一度そういうのを決めてしまうととても幅が狭い人生になってしまう気がする。毎年バイクで旅をしていたときも、最初はその旅そのものが目的であった。そういう自分に酔いしれていたのかな。けれど、2,3日もすればそれが日常になる。そうなったとき一般的には、夢敗れるとか挫折とか失敗という言葉で表現するのだろうけれど、それは当初の何も知らなかったときの幻想的な計画が頓挫しただけだね。それはいわばスターター、きっかけみたいなもので一番最初に燃え尽きてその役割を終えるものだからそれでいいね。そんなこんなで回り道ばかりで結局何者でもない自分に気がついたとき、なんだかよくわからないけれど喜びと楽しみが数倍にもなって目の前に広がっているんだよ。不思議なことにね。