波瀾万丈
波風がたつ
常に大きくうねりをうってすべてが流れていく。それをどう感じているか、どう捉えているかで明暗が分かれるね。波だから高くなったり、低くなったりの繰り返しで進んでいくわけで、高いときが好ましいと思う状況であったら、低いときには最悪な状況となるわけだね。つまり良いも悪いも表裏一体で繰り返して進んでいるわけだ。良いことがあれば悪いことがあるというのはそういうことから来ている。だから今日はラッキー、明日は不幸なんて一喜一憂するのではなくて、すべてが大きな流れの中の小さな変化でしかないと見抜けるかどうかという問題になる。あることに浮かれているうちに、とても大事なことをうっかり忘れたり、その逆であることにとても腹を立てて感情に振り回されるがあまり、大事な人を傷つけてしまったりしている。そのポイントだけを良いとか悪いとか評価しているだけで、全体としては確実に進んでいるというわけだね。
山あり谷あり
人生は山あり谷ありだと言われる。その比喩の多くは山のときは良いときで、谷はどん底と表現されるね。たとえば10年を振り返ってみると、年別にどんな年だったか思い出してプロットしてみれば波線ができる。それを見て一昨年は辛かったなとか、去年は良かったなと改めて再認識するかもしれない。でももっとメモリを細かくすれば、そんなことはないわけで、1日単位でも同じように気分が優れている日やイマイチな日を繰り返しているし、時間単位で見てもさっきまでなんとなく力が出なかったけれど、急にやる気がみなぎってきて今はとても楽しく過ごしているよ、なんてこともあるね。そうしていると大好きなお土産をもらったりしてさらに幸せになったりする。
流転と無常
すべては変化し続けているということだね。物質的に注目しても心に注目しても常に移り変わっている。その時々の一瞬の評価が良い、悪いとなるだけ。ということはそんなラッキー、アンラッキーに振り回されていても仕方がないということに気づくね。確かに良いことばかりの人生、幸せがいっぱいの人生がいいと誰しもが思っているかもしれない。でも、そもそもその良いこと、幸せがいっぱいなことは無常なんだよ。実際にそこにあるわけでもなくぼんやり浮かんでいるあなたの心の評価でしかない。そんなことにいつも振り回されているんだよね。何か絶対なもの、裏切らないものを探して所有しようとしても、今度は万物は流転しているね。物質的にも少しずつ変化している。面白いもので変化しないものにヒトは価値を見出しているのは、変化しないものを探し求めている業を物質に投影しているんだよね。金塊とかダイヤモンドなどにね。変わらないものを自分のものにしたところで、あなたという存在すらほんの一瞬でしかない。何も得てないし何も失ってもないとはそういうことを表した言葉なんだよ。