気分は微分
クソゲー
5秒間息を止めたれたら優勝です、なんていうゲームがあったとして、それをプレイして楽しめるかな?よっぽど呼吸器に何らかの問題を抱えていない限りほとんどのひとはクリアできてしまうのではないかな。そう、「すぐに」クリアできてしまうことが問題となるわけだ。でも普段はもっと思い通りに暮らせたらどんなに幸せだろうと夢見ているね。そこで5秒間息を止めたれたらすべてが思い通りになるゲームがあったとして、先のやつみたいに健康なあなたはあっけなくクリアして、思い通りの最高な幸せを手に入れたとして喜んでいる姿がそこ見えるだろうか。
難易度
面白いゲームというのは、適切な難易度と適切なストーリ展開とほどよい充足感という要素がそろっていないといけないね。そのどれかが欠けていると途中で飽きてきたり、にっちもさっちも進まなくなったり、バグが多すぎていつも途中で固まったりして、ついに電源を入れることもなくなってしまう。それっていつもの生活も同じだね。ということは、人生そのものがゲームに過ぎないということ。でもリアルな人生はゲームのように気に入らなければリセットして最初からやり直したり、ストーリを選び直したりキャラを変えたりできない。そう言われるけれど、最初からという最初が「生まれた瞬間」なら誰にもわからないはずだね。だって生まれたときの記憶を持っているひとはほとんどいないから最初というのがそもそもわからない。記憶がある時代まで戻ることはできないけれど、覚えているのならそんな気持ちになることはいつでもできるね。ストーリーを選び直したり、キャラ変をしたりもやろうと思えばできないことはないね。ということは、やり直すことはできないけれど見つめ直すことはいつでもできるってわけだから、案外人生もゲームと似ているかもしれないね。リアルな人生とバーチャルなゲームは根本的に違うって?でも、生きた記憶も曖昧なあなたの人生はリアルと呼べるのだろうか。
思い込んだら
いつも今しか生きられない。これだけ技術が発達しているけれど今の所過去に戻れないし未来にもいけないという制限は外れないね。「今」なんていうのは数学でいうと微分に近いので極限まで限定された一瞬において、幸せか不幸か、損か得か、楽しいか苦しいかの近似値を計算している状態だね。漸近線を求めているから、このままいくと楽しい傾きなのか、不幸なのか、瞬間の接線を求めて評価し続けているのが人生ゲームとも言えるね。今ふつふつと感じているその感覚と感情はほんの極点でしかないということ。それでも明日が来るのであればそれだけで成功であること。そんな目まぐるしく変化する中で感じているものはすべてまやかしでしかないというのは、そういうからくりだからだね。そして次のステージに進んでいるのにも関わらず、随分前の感情を引きずっているとさらにうまくプレイができないのはあなたはすでに体験済みで知っているはずだよ。