勇者はあなた

日々

みんなと一緒

自分で考えなさいなんて偉い学者が言うけれど、自分で考える方法を徹底的に奪っているのが初等教育だね。とにかく個性や多様性を認めないといけない面倒な時代になったんだけれど、それでもその中の共通項でうまいことくくろうとしているね。そうすることでマジョリティになるんだけれど、そうなればなったでそこに入れないマイノリティはその都度発生してゼロにはならない。教育によって何かを教えるということを続けていくと、教える内容はマジョリティになってしまう。多くの人が学校で習ったことが共通解になるのは避けられないし、教えていないことがゼロになることなんてありえないね。どうしても取捨選択するしかない。でもこれは相変わらず一斉授業や教科書制度があるからだね。こんなことをこれからもずっと繰り返していくのだろうか。そう思うとちょっと気が重くなるね。かと言って大衆民主主義を捨てて違うイデオロギーで社会をまとめようとしても、それもメリットとデメリットが共存するのであって、デメリットゼロなんていう政策や社会はどこにもないよね。

てんでばらばら

三々五々といった方が伝わりやすいかな。それぞれがめいめいに好きなことをやっている。それが多様性だね。何かを誰かが押し付けることはない。そうなると社会通念を学ぶ機会がなくなるから為政者が困るってわけだね。そこで何が一番問題かというと、都合のいい正しさを比較することを徹底的に教え込まれることだね。正しさを求めることが意義ある人生であるというのが模範解答となる。教え方や表現を変えて一貫して叩き込まれるのはこれだけ。そのための道徳であり、そのための集団行動であり、そのための絆であり、そのための友情であり、そのための青春と名付けた共通概念だね。席を並べて同じ科目を学ぶという体験、集団行動で敵に勝つという心構え、わがままは悪だという正義、指示命令に従うという習慣、すべてが培われる。いわば家畜化とも言えるね。これが現代社会の良い子であり、優秀さであり、後にエリートとなるわけだ。てんでばらばらで学びたいことを学ぶ寺子屋とは違って、明治以降は今の教育が当たり前となってしまった。その弊害を今更知り、なんとか改革をしようともがいてみても徹底的に自分の頭で考えることを失ってしまったのでにっちもさっちもいかない策しか出てこないみたいだね。

救世主はあなた

いい暮らしを手にするためには富と名声が必要という条件設定はもはや訴求力を失いつつあるね。お金の量が幸せの量だと信じてそれこそ命がけで大金持ちになったあなたも、そうでないことに気がついてしまった。いい暮らしとは贅沢品や高級品に囲まれて何不自由なく生活することだと憧れてようやく手にしたと思ったら、そろそろ寿命がつきそうなことに気がついたね。残念ながらあと数十年でそれらは名前を顔もしらないまったく違う誰かの手に渡るわけだ。さて、社会とはなにか。それはゲームで言うところの設定に過ぎないね。もともとあるようでないものだから、どんな条件でゲームクリアになるかを自由に設定できる。今の設定がつまらなかったら、あなたは設定変更をいつでもできる。でもみんながそうやって設定変更されると困るから、設定変更したら爆発するよと教え込まれているだけなんだよ。さぁ、どうする?