今どこ?

日々

地図

地図が見られない人がいる。それは地図があったところで自分がどこにいるかがわからないと使えないということを表している。さらに言うと、地図によく現在地と書いて赤い点が描いてあるのをよく見ると思うけれど、あれがあっても迷う人がいるね。心当たりあるかな。現在地が点であっても意味がないんだよね。そうして自分はどっちに向かっているかの矢印がないとそこからどっちに向かうかがわからない。今自分が向いている方角がわからないと最初の第一歩も踏み出せないよね。まとめると、地図があってきちんと現在地がわかって、その上今自分はどっちの方角に向いているかという矢印の3つが揃わないと使いものにならないということ。逆に言えばあなたの脳のどこかに、家の近所の地図を保持している部分があって、その地図上にきちんと自分がどのあたりに今いるか、そしてどの方向に向かっているかを指し示すナビゲーションシステムがあるってことだね。

動物

おそらく動物には多かれ少なかれ、行動を制御するシステムや記憶が組み込まれているはずだね。そうでないと、現在地がわからず結局同じところをぐるぐる回っているだけになってしまう。生命維持のために動く必要がない生物はそれでいいのだろうけれど、餌を追いかけて捕食しないと生きていけない動物は、それでは大変困ったことになるね。渡り鳥も含めてどこまでの範囲の地図データを持っているかはまだはっきりとしないけれど、そのマップ上で今自分はこのあたりにいるということを認識しているということを表している。単細胞生物のような単純行動を繰り返しているものは地図データは必要ないね。おそらくシンプルゲームのプログラムのように、まっすぐ進んでぶつかったら右に曲がる。それだけで動き回ることができるね。この場合はナビゲーションは不要ということになる。ぶつかったら右だけですべての邪魔を避けられるのだからね。ただし袋小路には対応できないけれどおそらくは対応する必要がないのでバッサリ切り捨てているんだろうね。もう少し複雑な行動プログラムを組むことができれば、まっすぐ進んで右に曲がる、それでもぶつかる場合は後ろに下がるというルーティンを追加できればほぼ完璧だね。

自分

地図システムが動作するためには、根本的な概念が必要だね。それは、そういう世界というか地図と自分が分離していないと機能しないこと。どういうことかというと、自己がここにいるという現在地を指し示すためには、自己の範囲を限定しないとできないね。だから仕方なくここからここまではあなた自身とするという、境界線が必須となる。世界はあなたであり、あなたは世界そのものである、なんて宗教やスピリチュアルが説明するんだけれど、それでは少なくともナビゲーションシステムは動作しなくなってしまう。おそらく植物や動かない生物には自己と世界の境界は不要だね。動物は動き回るから仕方なくあなたという物体はここまでとし、それ以外はあなたではないという境界線を設定しなければならない。そういう構造というかしくみがわかると、あなたはあなたと思っているその境界線はとてもざっくりでいい加減であることがわかるね。あなたはあなたと思っているというのは意識のこと。意識を失えば今どこにいるかもわからない。それだけ意識は曖昧なものであり、必要なときだけ生まれるもの。それを意識と言って、一番大切にしているね。あなたはあなたという意識は実はそれぐらいのものなんだからあなたが思っているほど重要視するほどのものでもないかもしれないよ。